赤木飛輪 Hiwa Akagi Pianist

ピアニスト赤木飛輪のブログです。
A blog of Hiwa Akagi

・ポスティメ新聞のインタヴュー

2012-12-03 15:02:38 | 音楽
エストニアのフィンランド寄りのかわいい町、パルヌ。昔はロシアとフィンランドの間を行き来するときに一休みするための保養地、兼、港町だったとか。

ロシアの名演奏家たちは、必ずパルヌでは演奏したとか。オイストラフ、ギレリスも演奏したという、ポカポカ日当たりのいいタウンホールの一階にあるお部屋に事務のマリアさんに通されて、インタヴューでした。「昔オイストラフも歩いたんだなあ、」と思うと、このお部屋の一部始終を今、残すことなく感じ取らないと!となんだかわくわく。ロシアの影響を思わせるパステルカラーの色彩に塗装されたお部屋にインタヴューのおねえさんが「こんにちは」とやってきました。

言うことをあれこれ考えておいて、話す順番まで考えていたので私がメモを見ながら話していると、
「それなあに?」と、おねえさん。
「何を言いいたいか考えてきたの」というと、
「それ、見なくてもいいんじゃないのかしら」とニコッとスマイル。
私もにこっとしてみて、かばんにしまいこみました。

その意味がすぐにわかりました。新聞社の方はさすがプロ!ペース作りをしたかったに違いありません。気がついたらほとんど無意識に近いリラックスした状態で、まるでカフェで友達と会話でもしたかのように、インタヴューが終わっていたのです。


margeさんすごい!
インタヴューの和訳を載せてみました。


音楽は自らの追求心から。強制されてするものではない。
インタヴューMarge Lumisalu with Hiwa Akagi


m.l.第10回ピアノ講習会’SUVEUNIversiteet 2011’開催に伴い、今後期待されている若手の日本人ピアニスト、赤木飛輪さんがパルヌにいます。彼女はイギリス、スペイン、オランダ、フランス、ドイツ、そして日本にて活躍しています。
赤木さんはコンクールでの受賞も数多く、また、2002年には、クイーンエリザベス戴冠50周年記念コンサートにソリストとして招待されました。また、赤木さんにとってアルボ・ヴァルドマ教授は、最高の教師、そして、心の通う友達のような存在です。

今30歳になりますね。しかし、あなたはすで高評を得ているピアニストです。何歳にピアノの勉強を始めたのですか?
hiwa.5歳の時です。それ以前は2年間ヴァイオリンをしていました。私の母もピアニストなので、母がたどった道を私も同じように歩み、ピアノのレッスンへ通うこと、とてもあたりまえのような事に思いました。それに、他の色々な楽器を並べても、ピアノが一番美しい音を出す楽器、とそう思います。


m.l.初めてのソロリサイタルを開いたのは、10歳の頃でしたね。その日をどのように覚えていらっしゃいますか?友達と遊べず、ピアノに時間をつぎ込む事に、不満を覚えませんでしたか?
hiwa.あのコンサートの日は、鮮明に覚えています。たくさんの喜んでくださった人の表情を思い出します。演奏することは大好きでした。練習は、一度もだるい事とは思いませんでした。(もちろん正しいテクニック習得のための大変な練習は不可欠ですが。)でも、なんだか、練習は人生の自然なあり方のようなもの。私は本当にピアノを弾くことが大好きなのです。
m.l.1990年には家族と共にイギリスへ移住なさった。理由は?移住はピアノの勉強の妨げにはなりませんでしたか?
hiwa.私の父は科学者で、仕事のために英国へ行ったのですが、その移住が妨げになったようには記憶していません。もちろん、初めは新しい言葉で人と通じるすべを身につけないといけませんでしたが、それは音楽にはなにも影響しませんでした。私はいつも頭脳ではなく、自分の心にしたがってピアノの人生を歩んできたように思います。
m.l.ヴァルドマ教授とはどのようにして初めお会いしたのですか?ヴァルドマ教授の講習会は世界中で高評を得ていますよね。彼は、このようにすばらしい評価を得ている教師となっているのは、どうしてと思いますか?
hiwa.2007に東京でヴァルドマ教授との出会いがありました。先生は講習会を開いていたのです。私は、レッスンを受けて間もなく、先生は特別な人だ、師事していきたい、と直感で解りました。また、先生はとてもかたくなく、ゆったりとしていて、フレンドリーなんです。例えばですが、先生はいつもレッスンの後、私に「ありがとう」と言うのには驚きました。日本では先生は生徒に向かって、決してありがとうとは言いません。そして、ヴァルドマ先生は単に、大きい音で、とか速く弾きなさい、などと言いません。先生はお話を教えてくれて、比喩的な表現で、曲を理解する手助けをしてくれます。

そして、先生は決して怒ったりしません。先生はポジティヴな態度で接してくれて、やる気を引き出してくれます。異なる年齢、異なる国からの参加者が大勢集まりますが、とてもなかよくなれるのです。あの人の方が上手、とかそういう感情が出てこなく、お互いが支え合います。大きな家族のようなものです。この現象は先生の人徳だと思います。

m.l.ヴァルドマ教授に合う以前に、エストニアという国がどこにあるか知っていましたか?滞在中、パルヌの町を散策する機会はありましたか?
hiwa.エストニアについては、何も知りませんでした。もうここへの滞在は3度目。気に入っています。パルヌは緑の多い、とっても愛らしい町ですね。講習会が目的で来たので、練習やレッスンで時間はいっぱいいっぱいです。なので、あまり町は散策出来ていません。もちろん毎晩、食事には出かけるのですが。話は変わりますが、他の国の講習会に参加する時には、いつも私は気晴らしのための本を持っていきます。でも、パルヌは町自体が素敵なので、気晴らしの本は必要ないですね。

m.l.日本についての話題にしましょう。大地震と津波が襲った時、自宅にいたのですか?原子力発電所に問題が生じ、放射能漏れの問題も引き続いて発生しました。その後、日本はいかがですか?人々の様子に変化は見受けられますか?もしそうだとしたら、どのような点で変わりましたか?
hiwa.はい。その時、東京の自宅にいました。とても恐ろしい経験でした。床から大きく揺れて、みんなとても怖がっていました。そして放射能漏れ・・しかし、その後、日本の人々の精神が互いに歩み寄ってきた事に私は気がつきました。この恐怖の震災の前を振り返ると、人々は不況のため、お金の事で頭がいっぱいになっていたように思います。震災後、人間同士、心の通う事を大切に思うようになってきました。人々は、もっと身近に他人を思い、心を開くようになりました。

もちろん、震災の残した悲劇的な影は大きなものです。人々は被災地を訪れます。多くの子供が孤児となりました。でも、人生は進んでいきます。私を含め、多くの人が義援金を送りました。


m.l.音楽へ話を戻します。将来に計画はあるのでしょうか?あと3,4年後には成し遂げたい目標などはありますか?
hiwa.何も、目標はないです。今この瞬間が大好きなのです。もちろん、将来的には、子供が欲しいですね。でも、現時点ではピアノをただ弾いていたいだけです。私は、ヴァルドマ先生のレッスンを思うと、感謝の気持ちと幸福感を覚えます。先生のような指導者がもっと増えるべきです。先生というものは生徒に音楽をおしつけるべきではなく、生徒の中から音楽が湧き出てくるべきで、音楽をすることを生徒が切に願うべきです。みんなヴァルドマ先生のような人に恵まれたらいいな、と思います。

m.l.講習会の開催中、いつ、どこであなたの演奏が聴けますか?
hiwa.タウンホールで今晩の土曜日、日曜日、そして火曜日です。ここでは他の参加者も演奏します。私は、8月10日(水)には、パルヌ・コンサートホールに於いて、ファィナルコンサートでも演奏致します。
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