松平定信公
徳川吉宗の孫、26歳で白河藩主、天明の飢饉ではその手腕で餓死者を出さず、名君と讃えられました
現在は南湖神社の御祭神として祀られています
この松平定信公直筆の「家訓」が、白河市の白河集古苑で開催された「大定信展」で公開されたそうです
徳川幕府の老中首座に就任する直前、国を離れる際に書いたもののようです
5カ条から成り、公儀への不忠を戒め、藩主の霊廟[れいびょう]をおろそかにしてはならないといった内容にはじまり5番目の項目では「主人の行いは全て家中の手本」、上の者が禁を犯しているにもかかわらず、下の者に守るように言うことは不埒、守れない者は職を辞し、隠居すべしとあります
家訓をつづった翌年には将軍補佐職を兼務し、30歳の若さで国政のトップとして寛政の改革に突き進みました
家訓の展示は23日に終わりましたが、現代の企業幹部、政治家にも聞かせたいですね
徳川吉宗の孫、26歳で白河藩主、天明の飢饉ではその手腕で餓死者を出さず、名君と讃えられました
現在は南湖神社の御祭神として祀られています
この松平定信公直筆の「家訓」が、白河市の白河集古苑で開催された「大定信展」で公開されたそうです
徳川幕府の老中首座に就任する直前、国を離れる際に書いたもののようです
5カ条から成り、公儀への不忠を戒め、藩主の霊廟[れいびょう]をおろそかにしてはならないといった内容にはじまり5番目の項目では「主人の行いは全て家中の手本」、上の者が禁を犯しているにもかかわらず、下の者に守るように言うことは不埒、守れない者は職を辞し、隠居すべしとあります
家訓をつづった翌年には将軍補佐職を兼務し、30歳の若さで国政のトップとして寛政の改革に突き進みました
家訓の展示は23日に終わりましたが、現代の企業幹部、政治家にも聞かせたいですね
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