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朝から仁川観光に出かけた。仁川と言えば空港を思い出すが、仁川市は空港から少し離れている。まず最初に仁川上陸作戦記念館を訪れた。歴史にうとい私なら、その観光は設定はしなかったであろう。
1950年、連合軍はマッカーサー司令官の決断で仁川に上陸してソウル市を奪還したという。いわゆる朝鮮戦争である。日本は、そのおかげで敗戦後の景気の下支えになった。下手をすれば釜山や日本も危なかったらしい。私は、全く知らない。中学の社会科、高校の社会科の授業ともに、現代史は時間数が足りなくなって先走って終えた。また、教える側も、日本の軍国主義についてあまり語られていない時代的な背景があるように思う。誠に残念なことである。
皮肉にも第二次世界大戦で日本が敗北した日が、朝鮮の独立記念日となる。10年くらい前、私は、その時の情景を平田オリザさんが率いる劇団青年団が「ソウル市民」を熱演していたこと思い出す。政治あるいは戦争によって、韓国で暮す日本人家族とその使用人の心の移り変わりをとらえたもので、穏やかな暮らしが一遍するありさまは今でも心に残っている。また、小劇場で日系三世のひいおじいさんのルーツをたどるという内容の演劇を観た。その後のトークショーで、日系三世の韓国人俳優さんが、日系一世、二世は、自分の本心を話さなく、殻にとじこもる生き方を身に着けているが、やっと三世になって自由に自己表現できるようになったと言う。私の子供のころ、約50年前には、朝鮮人の差別が確かにあったし、私の心の深くにはその事が根付いているのではないだろうかと不安を覚える。
ガイドさんは、景福宮など朝鮮の歴史を語るうえで、日本人のお客さんに楽しく観光してもらおうと可愛そうなくらい言葉を選びながら説明していた。でも、歴史に精通した人から異論が出た。そのぐらい歴史感覚が違う。日本が好きで、日本語を勉強した彼女でさえそうである。ガイドさん説明の中で、韓国の若い人の中には、経済が悪くなり、生活が低下する事を危惧して、朝鮮の統一に反対している。でも、朝鮮戦争によって、数知れない家族がバラバラになっている現実もある。日本以上に韓国は、前途多難である。
この章は、今までの旅の楽しさを発信する内容から少し違ってきたが、ありのままの韓国を伝えるためには、避けては通れない事のように思う。もののみ方考え方は、人それぞれに違って当然です。
今回の旅は、また一味違ったものであった。