盛實氏、平塚氏(仮名)と別れ、中間点を過ぎ第二折り返しまでの道のり。
この間、走りにくいし抜きにくいこともあって、結構長いような気がした。
第二折り返し手前でさくらちゃんに会った。
さくらちゃんも足の治療をしていて同じ病院に通っている。
もっと後ろのほうにいると思っていたが
ずいぶん前のほうで頑張っていた。
声をかけたが、並走はせずにさらにペースを上げた。
第二折り返しがきた。時計は12時40分。関門まで35分の時間の余裕がある。
第二折り返しを過ぎ、ようやく国道に出た。
行きと同じように登山部メンバーが待ち構えておりハイタッチ。
このレース前にひとつの目標を立てていた。
それは歩かないこと。どんなに遅くても走ることだ。
国道に入り、パルティ前のメンバーに再びハイタッチ。栄養ゼリーをもらって・・・
ん?メンバーが少ない。休憩でも行ったのか?
兵頭さんの予定表より少々早く走っているから仕方ないか。
さあ、いよいよマラソンで一番苦しいとされる30キロを超えた。
既に、道の端で屈伸やストレッチをしている人、歩いている人がかなり多く見受けられた。
この頃からか、誰も自分を抜く人が居なくなった。
キロ6分ペースを維持し、目の前のランナーをかたっぱしから抜いていく。
気持いい、前半抑えてきた倍返しだ(2013年流行語大賞)。
まだまだ膝の調子はよさそうだが、あえてここで鎮静剤を飲んだ。
さあ、愛媛マラソンのコースで最も苦しいとされるトンネルを挟んでの坂だ。
ほとんどのランナーは歩いている。ここらあたりから、
この数ヶ月のことを思い出し、涙していた。
オーバーユースから故障者リスト入りし諦めかけた愛媛マラソン。
こんな坂に比べれば。、走れないことの方が辛いぞと。
途中、藤田さん(仮名)の奥さんが応援してくれた。
昨年完走して、今年はボランティアだと言っていた。
この苦しい坂での応援は助かる。
と、そのとき一人のランナーに抜かれた。
ずっと抜いてきただけにびっくりした。しかしこのランナーの存在がよかった。
とりあえず、このランナーについていこう。
ぴったりと後ろについて、トンネルを超え坂道の頂上付近まで連れて行ってもらった。
結局、そのランナーも頂上付近で歩きに変わり、抜いてしまった。
そして下り。もともと下りは好きなのでペースは衰えない。
残り10kmを超え堀江小学校の関門34.8kmにさしかかった。
時計は14時ここで1時間近くの余裕となった。
膝の痛みが出てきたが、走れないことは無い。4時間台目指してみようか。
沿道の観客も多くなった。まだ走れている喜びに、何度か涙していたが
帽子は深くかぶっているからばれていないだろう。
とにかく、4時間台を目指した自分との戦いだ。
姫原のクリニック近くを過ぎ、山越そして最後の関門本町7丁目へ。
時計は14時30分。残り2キロ弱。どうやら4時間台は達成できそう。
本町を超えお堀が見えたときにまたまた知り合いにあった。
銀行の支○長正木氏だ(仮名)
写真を撮っていただき、さらに元気が出たが、涙も出た。
帰ってこれた走れた~~あとは
左折してゴールへ一直線。ガッツポーズでフィニッシュだ!
とそのとき「隊長~~~~」という声が。最初は分からなくて通り過ぎようとしたが
もう一度目をやると、登山部のメンバーが居た!!
ゴールには居ないとと思っていただけに感動ものだ。
ちょっとだけ引き返し、みんなとハイタッチ。
ありがとう、ほんとうにありがとう!その時の写真も撮っていただいた。
写真は宝物だが仲間の存在はもっと宝物だ。
そして栄光のゴールへ。
4時間44分13秒。
くるっと振り返り、コースに一礼して初マラソンは終了。
もっと泣くかと思ったが、達成感で涙よりすがすがしさが。
表情が涙顔から笑顔に変わった。自分を褒める瞬間だ。よくやったと。
いろんなことがありすぎたこの数ヶ月。
自己流の練習 調整の失敗、挫折、そして復活。
完走できたから言えるのかも知れませんが
愛媛マラソンに挑戦してよかったと
心の底から思います。
11月から400キロを超える練習。
走った距離が故障で裏切られたと思ったが
最後まで走れたのはその走った距離のおかげだと
思わせてください。
諦めればその瞬間に終わってしまいます。
希望が一つでも見えるなら、諦めないで。
それまで費やした努力は、必ず報われると信じます。
応援して頂いたすべての皆様
ありがとうございました。
記録より記憶に残った愛媛マラソンでした。
-完ー
この間、走りにくいし抜きにくいこともあって、結構長いような気がした。
第二折り返し手前でさくらちゃんに会った。
さくらちゃんも足の治療をしていて同じ病院に通っている。
もっと後ろのほうにいると思っていたが
ずいぶん前のほうで頑張っていた。
声をかけたが、並走はせずにさらにペースを上げた。
第二折り返しがきた。時計は12時40分。関門まで35分の時間の余裕がある。
第二折り返しを過ぎ、ようやく国道に出た。
行きと同じように登山部メンバーが待ち構えておりハイタッチ。
このレース前にひとつの目標を立てていた。
それは歩かないこと。どんなに遅くても走ることだ。
国道に入り、パルティ前のメンバーに再びハイタッチ。栄養ゼリーをもらって・・・
ん?メンバーが少ない。休憩でも行ったのか?
兵頭さんの予定表より少々早く走っているから仕方ないか。
さあ、いよいよマラソンで一番苦しいとされる30キロを超えた。
既に、道の端で屈伸やストレッチをしている人、歩いている人がかなり多く見受けられた。
この頃からか、誰も自分を抜く人が居なくなった。
キロ6分ペースを維持し、目の前のランナーをかたっぱしから抜いていく。
気持いい、前半抑えてきた倍返しだ(2013年流行語大賞)。
まだまだ膝の調子はよさそうだが、あえてここで鎮静剤を飲んだ。
さあ、愛媛マラソンのコースで最も苦しいとされるトンネルを挟んでの坂だ。
ほとんどのランナーは歩いている。ここらあたりから、
この数ヶ月のことを思い出し、涙していた。
オーバーユースから故障者リスト入りし諦めかけた愛媛マラソン。
こんな坂に比べれば。、走れないことの方が辛いぞと。
途中、藤田さん(仮名)の奥さんが応援してくれた。
昨年完走して、今年はボランティアだと言っていた。
この苦しい坂での応援は助かる。
と、そのとき一人のランナーに抜かれた。
ずっと抜いてきただけにびっくりした。しかしこのランナーの存在がよかった。
とりあえず、このランナーについていこう。
ぴったりと後ろについて、トンネルを超え坂道の頂上付近まで連れて行ってもらった。
結局、そのランナーも頂上付近で歩きに変わり、抜いてしまった。
そして下り。もともと下りは好きなのでペースは衰えない。
残り10kmを超え堀江小学校の関門34.8kmにさしかかった。
時計は14時ここで1時間近くの余裕となった。
膝の痛みが出てきたが、走れないことは無い。4時間台目指してみようか。
沿道の観客も多くなった。まだ走れている喜びに、何度か涙していたが
帽子は深くかぶっているからばれていないだろう。
とにかく、4時間台を目指した自分との戦いだ。
姫原のクリニック近くを過ぎ、山越そして最後の関門本町7丁目へ。
時計は14時30分。残り2キロ弱。どうやら4時間台は達成できそう。
本町を超えお堀が見えたときにまたまた知り合いにあった。
銀行の支○長正木氏だ(仮名)
写真を撮っていただき、さらに元気が出たが、涙も出た。
帰ってこれた走れた~~あとは
左折してゴールへ一直線。ガッツポーズでフィニッシュだ!
とそのとき「隊長~~~~」という声が。最初は分からなくて通り過ぎようとしたが
もう一度目をやると、登山部のメンバーが居た!!
ゴールには居ないとと思っていただけに感動ものだ。
ちょっとだけ引き返し、みんなとハイタッチ。
ありがとう、ほんとうにありがとう!その時の写真も撮っていただいた。
写真は宝物だが仲間の存在はもっと宝物だ。
そして栄光のゴールへ。
4時間44分13秒。
くるっと振り返り、コースに一礼して初マラソンは終了。
もっと泣くかと思ったが、達成感で涙よりすがすがしさが。
表情が涙顔から笑顔に変わった。自分を褒める瞬間だ。よくやったと。
いろんなことがありすぎたこの数ヶ月。
自己流の練習 調整の失敗、挫折、そして復活。
完走できたから言えるのかも知れませんが
愛媛マラソンに挑戦してよかったと
心の底から思います。
11月から400キロを超える練習。
走った距離が故障で裏切られたと思ったが
最後まで走れたのはその走った距離のおかげだと
思わせてください。
諦めればその瞬間に終わってしまいます。
希望が一つでも見えるなら、諦めないで。
それまで費やした努力は、必ず報われると信じます。
応援して頂いたすべての皆様
ありがとうございました。
記録より記憶に残った愛媛マラソンでした。
-完ー