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小さき花-第6章~9

2022-09-20 05:27:49 | 小さき花

 ナーブルに行ったときに聖マルチノ修道院で愉快な散歩をしました、この修道院は少し小高い丘の上に建てられてあるので、このナーブル市の全景が見えます、帰途馬車の馬が暴れたので真に危ないことでしたが、無事に立派な宿屋に着くことが出来たのは、全く我らの守護の天使のご加護であったのでありましょう、いま立派な宿屋と申したのは少しも褒め過ぎた言葉ではありません、実はこの旅行中いつも贅沢を極めた宿屋に泊まりました、今までこういう派手な建物を見た事がありませんでした、真に栄誉や財産は真の幸福を与えるのではないという事を経験しました、私はこの時にこういう栄華な境遇に居りましても、蝋石の階段、絹の敷物の中におりましても、心の中に悲しみ愁いがありました、もしこれがカルメル会に入る許可を得ているならば、藁ぶきの家に居ったにせよ一層幸福で有ったでありましょう。
 私はその時に喜びというものは、私等を取り囲んでいる物質の中にあるのではなく、私等の霊魂の中に住まいしているのであるという事を深く感じました、それゆえこの喜びは暗い牢屋の中におりましても立派な宮殿の奥深くにいる如く同じく得られるものであります。例えばただいま私はこのカルメル会の内に居て、種々と内外の苦しみ試しの最中でありましても、世間に居って何の不足もなく、殊に家族に取り囲まれる喜びよりもなお遥かに幸福であります。
 先に申し上げました如く私の霊魂は哀しみの中に沈んでおりましたが、外部はいつも同じことで別に変っておりませんでした、私は教皇陛下にお願い申した事は、まだ人々に知れておらぬと思っていましたところが、間もなくそうでないという事をさとりました。ある日他の参拝者等が食事の為に皆下車せられ、私は姉と共に列車の中に残っておりました、その時ふと車窓から外を覗くと、ルグー司教様はそこを通りかかられ私の顔をよく見て笑みを含みながら「カルメル会の小さき修道女よ、どうですか……」と申されました。また参拝者中のある人も私に特別同情を寄せる様な顔付きをして居られるのを見たので、私の秘密は最早参拝者の間に公に知れ渡っているという事をさとりました。しかし幸いに誰からもこの事についてあてつけがましい話しがありませんでした。
 アッシジ市でちょっとした出来事がありました、私は聖フランシスコと聖クララの徳行の光り香りを放つところ……すなわち生前住まいしておられたところに参りましてから後、修道院の内で帯締めを紛失しました、そしてこれを捜している間、一行の者に少し遅れましたので、急いで門外に出るともはや馬車が皆出発した後でただ一つ……一番畏れていたレベロニ副司教の馬車だけのこっていました、それでもすぐに出た馬車の後ろを追いかけて行こうか……そうすれば汽車に乗り遅れる……或いはこの馬車に乗せて頂こうか……どうしようかと非常に心配しましたがこのあとで確かな安全な方法を取りました、非常に困っていながらも少しも困っていないような態度をして、その事情を副司教に私は話しました、ところが最早この馬車も満員となっておりましたので、副司教は大層困られましたが、幸いにもその馬車に乗っていた一人の方はすぐに降りて代わりに私を乗せ、自分は御者の側に行きました。私はその時に罠に落ちたリスの如くでありました。司教様や神父や高い位の方々、殊に真正面には一番畏れている副司教が居られるので、真にきまり悪くありました。しかし副司教は至って親切に遇ってくださって、カルメル会の話を為す為に、時々他の談話までも遮られ、私の望んでいるように15歳で修院に入る事が出来るよう、自分の力の及ぶ限り尽くすという事を約束してくださいました。
 私はこのお言葉を聞いて大いなる慰めを得ましたが、それでもなお心の苦痛は消えません、もはや私は人々に依頼するという心念を失っておりましたから、天主様に信頼するより他に道がありませんでした。


小さき花-第6章~8

2022-09-20 00:04:10 | 小さき花

 私の試みは烈しく大になりました、しかし天主様のお招きに応じて行くために私の力の及ぶだけの事を致したのでありますから、涙を流している時でも心の中に大いなる平和を感じておりました、この平和安心は心の奥底に潜み、苦い悲しみは充ちております。そしてちょうどイエズスは居られないように黙っておられました、御容姿を示される何の徴候もありませんでした。
 この日にも太陽が光をあえて見せませんでした、イタリアの美しい蒼空は暗雲に閉ざされて私と共に泣くように大雨が降りました、私は許可を得ようと思った目的が外れましたので、もはやこの旅行は私にとって何の愉快もありません、しかるに教皇陛下の最後の御言葉は一つの預言の如くに私に慰めを与えるはずでありまして、種々の妨げが集まって来たにも拘らず、私の身の上は「天主様の聖慮」通りになりました、即ち天主様は人々が思う通りに妨げる事をお許可にならずして、御自分の聖慮通りに摂理うてくださったのであります。
 私は少し前から、幼きイエズス様の小さき玩具になるために身を捧げておりました、そして幼きイエズス様に向かって「子供等が触る事も恐れてただ見ているばかりの貴重な玩具のように見做さずして、少しの価値もない手毬のごとく地に投げる事も、足でける事もまた貫く事も片隅に置く事も、なおお気に召すならば胸に当てることも出来る手毬のようにせられんことを」と願いました、約めて言えば私は幼きイエズス様の御手の中で、自由自在にせられる玩具としてイエズス様を喜ばせたい望みでありました。ちょうどイエズスはただいま祈禱を聴き入れてくださいまして。すなわちイエズズ様はローマに於いてこの小さき玩具を貫かれました、たぶん中に入っているものをご覧になるためでありましょう、そして中のものをご覧になって満足せられたので、その小さき手毬を御手から落としてしばらく眠られました、この静かな睡眠の間に御主は何をなさったでありましょうか、また落とされた手毬はどうなりましたでしょうか……?御主は夢うつつになられて時々この手毬を拾っては落とされ又遠くまでも転ばされしまいには再びこれを拾い取られてご自分の心臓に当て、今度は御手から離されませんでした。母様!この小さき手毬は地に落とされた時の悲しさを察することが出来ましょう、しかし目的が達する見込みがなくともなお心の底では、修院に入ることが出来るとふかっく信じておりました・
 11月20日が暮れて数日の後、父とともに聖ヨゼフ学院の校長と創立者シメオン師を訪問致しました、ところが図らずレベロニ副司教に会いました、そのとき父は副司教に向かって私の難しき願いの場合に、なぜ助力しませんでしたかと、優しく申して後、校長のもとに行って私に関する事を話しました。この親切な老年の校長は大いなる興味を以って耳を傾けられ忘れない為にちょっとその大略を書記して後、大いに感動せられた様子で「斯様な事はまだイタリアで見聞きしたことがありません」と申されました。
 忘れる事の出来ないこの謁見の翌日、私等はナーブル、ボンベイに行きましたが、ちょうど我らの一公を歓び迎えるようにベジユーブ山の大噴火口からは、祝砲の如くにさかんに濛々と火煙を上げて上げておりました、ボンベイ市にその恐ろしい光景の跡が残っております。聖書にも『主はこの地球を見て震わし、山に触れて粉となす(詩編103の33)』という句がありますが、これは天主様の全能を表す為であります。私は唯一人このボンベイに埋まった跡に起って、この世界の儚きこと、壊れやすいことなどを黙想しながら散歩したかったのですが、この市に長く留まることが出来ませんでした。


小さき花-第6章~6

2022-09-18 19:23:36 | 小さき花

 聖書の中に「マリア・マグダレナは常にイエズス様のお墓の傍を離れず、中を見るためにしばしば身を屈めていたところが、ついに2位の天使を見ることが出来た」という事が記されてあります。それで私も彼女の如く絶えず身を屈めながら降り口を覗いておりますと、天使を見ませんでしたが、幸いにも捜していた降り口を見出しました、そこで私はついておいでなさい、通ることが出来ます」と喜び叫びつつ、姉と共に急ぎ走って崩れた後をよじ下がってゆくと、遠方に居られた父はこの大胆な行動を不思議に思われてか、私等を呼ばれましたが、何にも聞こえませんでした。
 私等は軍人が危険の真っ最中に勇気が増すのを感じるように、私の喜びも目的を達する為に冒す危険と疲れが、増せば増すほどなお喜びも増えてきました。
 セリナは私よりも注意深い気質でありましたから先に案内者が「コロッセオの十字形の石がある。その医師は昔殉教者等が猛獣と闘ったところに据えられてある」と言った言葉を聞いておりましたので、しきりにその石の所在を探しておりましたがようやく見つけました。そこで二人はうやうやしくその前に跪き、ともに祈禱を捧げました。私はこの最初の信者等の血によって紅く染められてある土に接吻した時に強い感じが起こりましたので、その時イエズス様の為に殉教する恩寵を願いました。そして心の中ではこの祈禱が必ず聴き入れてくださるという事を感じました。
 しばらくして後記念の為にその側の小石を拾い取り、崩れやすい危険な元の道を辿って外に出ました。父は私等が非常に喜んでいるので少しも咎めぬばかりでなく、却ってその勇気を見て笑顔を湛えておられました。
 このコロッセオを見物してから後、カタコンブ(ローマ郊外の地中の墓穴であって、最初の公教信者が迫害の時に祭式を行い、死者を葬ったところ)に参りました。そこにはセリナとテレジアの両人は一緒に聖セシリア童貞の古い墳墓のなかに平伏し、聖女の遺物によって祝聖せられたこの墓の土を少し取りました。
 私は今までこの聖女に対して特別の信心は有りませんでしたが、その葬られている所や、殉教せられたところを見、また彼女が音楽の皇后……天配なるイエズス様を特に深く愛し、絶えず主に向かって謳うていた愛の歌のためにこう呼ばれるようになられた……と名付けられたのを聞きましたので、ただ信心を起こすばかりでなく、友情を親密に感じるようになりました。そしてその時から特にこの聖女を愛するようになり、何事も私の心を打ち明けるようになりました、この聖女の行為について特に気に入りましたのは、天主様の摂理に委ねる事、何事もあくまで天主様に深く寄りすがる事、もって現世の喜び楽しみのみ探していた哀れな霊魂等までも清浄の美徳を守らせるために力を得ていたという事であります。この聖女はその一生涯中、もっとも酷い難儀苦痛に遭われた時でも、なおその調子良き愛の歌を謳うておりました、私はこれを不思議と思いません、彼女はいつも聖書を胸に当てておりました、しかし心の中では童貞達の天配たるイエズス様がおられたからであります。
 私は又幼い時から特別に愛していた聖女アグネスの天主堂に参りまして大いなる愉快を得ました。その時私は第二の母となっていたイエズスのアグネス童貞の為に、何か遺物を持ち帰ろうと思って、そこの番人にその事を願いましたが、何物をも与えてくれませんでした。しかし人間に断られましたが、天主様が味方してくださったと見えまして、聖女アグネスが殉教せられた時代に出来たごく古いモザイクものの小さい赤い蝋石が突然私のもとに転げ落ちてきました。ああ何と嬉しいことではありませんか?聖女アグネスは御自身直接私にその遺物を与えてくださったのであります。


小さき花-第6章~7

2022-09-18 19:23:36 | 小さき花

 こうして6日の間このローマの尊く珍しい主なる不思議を遊覧いたしました。そして7日目に一番尊く珍しい不思議なものを見ました。即ちこれは時の教皇レオ13世陛下であります。私はこの日を待ち望んでおりましたが、また一面に畏れを抱いておりました、この日に於いて私の運命が決まるのでありまして、未だ司教様から何の知らせもありませんでしたから、是非とも教皇陛下の御許可を願うより外に途がなく、これが私にとって唯一の手綱であります。ああ私は数人の枢機官を始め大勢の大司教や司教様の面前で、思い切って教皇陛下に嘆願せねばならないのでありました、かかる重いだけでも私の心を戦慄させました。
 私等がバチカン宮殿内にある教皇陛下の聖堂に入りましたのは、11月20日の日曜日の朝でありました。8時に教皇陛下のミサ聖祭に与りましたが、このミサの間は陛下はイエズス、キリストの代理者に相応しい熱烈なる信心によりて真に「聖父」と名付けられるのは当然であるという事を表しなさったのであります。
 このミサの福音には次の如き喜ばしい意味が含まれておりました『小さき群れよおそるることなかれ、汝らに国を賜う事は、汝らの父の御意に適いたればなり(ルカ12の32)』と、……私は天主様に激しく寄りすがるという感じが起こりまして、間もなく必ず「カルメルの王国」(修院)に入ることが出来ると信じて少しも疑いませんでした、その時に次の御言葉『わが父の我に備え給いし如く、我も汝等のために国を備えんとす(ルカ22の29』即ち我は汝等に十字架と種々の艱難苦痛を備えるから、これに耐えるならば汝等が我が国を受けるように値せられる……と、また『キリストは己が光栄に入る前に苦しみを受くるのが必要であった(ルカ24の26)』『御国に於いてその御側にいる事を望むらならば、彼の飲みなさった苦しみの杯を飲まねばならぬ(マテオ2の20)』……などという御言葉を思い出しませんでした、その時私は教皇陛下のごミサのあとで、たてられた感謝のミサにも与りました、そしてそれが終わるとすぐ謁見が始まりました。
 レオ第13世陛下は一段高いところに置かれてある肘付椅子に倚られ、質素な白い長い衣服を纏われ、白い肩掛けを召され、その側には司教や教会の高き位の人々が多数起立しておられます、謁見の礼式が予め教えられた通り、参拝者が各自代わる代わる御前に跪き、一番先に御足に接吻し、続いて御手に接吻し、終って掩祝を受けるのです、それが済むと二人の華族武官(華族の中、名誉として陛下の近衛兵たらんと志願せられし方々)が次の者と交代する事を知らせてくださるので、起って次の部屋に退くのであります。
 みな黙って謁見しますが然し私は是非ともお願いする決心でありました、ところがその時右側に立っておられたレベロニ副司教は参拝者に向かって、諸君がいちいち教皇陛下に話すことは断然出来ないという事を大声で知らされました、この副司教の言葉を聞いて私の心は非常に騒ぎました、、それでどうしたならば良かろうかという風をしてセリナの方を見ますと、セリナは「御話ししなさい」と申しましたそのうちにいよいよ私が拝謁する番が来ました。
 私は御足に接吻し、続いて手に接吻する時、両眼は涙に覆われながら「陛下、私はいま大いなる恩寵をお願いいたしとうございます」と申しました、すると陛下は直ぐに身を屈めて頭を近づけてくださいました。その時陛下の深い黒い瞳は私の霊魂の底までも貫こうとするように見えました。
 私は言葉を継いで「陛下の金祝の祝典(この年は教皇陛下の司祭になられてより50年目であった)を挙げられる時でありますから何とぞこの15歳になる私を「カルメル会修院」に入れる事を許可してください」とお願い致しました。
 側に居られたレベロニ副司教は、少し意外と不満足の様子で「陛下よ、この娘はカルメル会に入りたい児であります、しかし目下霊魂上目上の人がその資格を調査中であります」と申しました。
 教皇陛下は「さらば霊魂上目上の人の決める通りに従えよ」と仰せられました。
 私はこれを承って、陛下のひざ元で小さき手を合わせ「陛下よ、もし陛下が一言許すと仰せられるならば、他の方々は皆同意して下さるのであります……」と最後のお願いを致しました。
 陛下は私を見つめられて心の底までも浸み込むような力ある音調を以って、一句ごとに言葉を強められ「もし、天主様の聖慮ならば、必ず入るようになる」と、私は続いてお願いをしようとしますと、二人の武官は退けという合図をしました、しかし私はなおも掌を合わせてそのまま動かずにおりますと、副司教はこの武官に手伝って私を起立させました、そのとき私にとって父の如き好き教皇陛下は、手を私の唇にあててその手を挙げ掩祝せられ、長く私の方を見ておられました。
 謁見が終って後、父は私の涙を流している風を視て悲しまれました、父は私よりも前に謁見しておりましたので、私が陛下にお願いした事などを少しも知りません、副司教は父に対してはまことに親切でありまして、父の謁見の際には陛下に「この人はカルメル会の二人の修道女の父であります」と申し上げましたので、陛下も特別の親切を表すために、尊敬すべき父の頭の上にイエズス、キリストの聖名によりて、神秘的印象を与えられるかのよう御手を当てられました。ただいま天国に居られる4人の童貞女の此の父として、最早キリストの代理者の手を頭の上に置かれるのではなく天の王、童貞達の天配なるイエズス様の御手を受けて、永遠に消えない光栄を受けておられるのであります。


小さき花-第6章~5

2022-09-17 20:35:56 | 小さき花

こういう追懐は真に愉快であります。しかしながら私等にとって最も大いなる慰めと思うのは、この聖き家に於いて聖体を拝領し、御主が御生活なさった同じ場所で、私はイエズス様の活ける聖堂となったことであります。ローマの慣例では聖体は各天主堂にただ一の祭壇が設けられ、そこに保存せられてあります。そうしてその祭壇により司祭が信者たちに聖体を授けます。この小さき聖き家は、貴重なダイヤモンドが白い蝋石に囲われている如くに天主堂の中にあります。そしてその側には聖櫃の置かれてある祭壇がありまして参拝者は皆この祭壇のもとでミサに与り聖体を拝領します。しかし私等はこの部屋で聖体を受けるよりも、この聖き家の中……即ち飾り箱のなかではなくダイヤモンドの中で、天使のパン(聖体)を受けたかったのであります。この聖き家の中にも祭壇がありまして、時々特別のミサがあります。常に中和を以って父は他の参拝者たちに混じりましたが、さほどに柔和でない姉と私とはこの聖き家に入りました。
 すると僥倖にも天主様の厚き御摂理によって、ちょうどその時一司祭が今そこにミサをおこなおうとして居られる所でありまししたから、早速聖体を受けたいという事を願いまして素のミサに預かり特別に聖体を拝領いたしました。その時のうれしさ喜ばしさは到底申し述べることが出来ません。しばらくこの家に居ってさえも斯様に喜ばしいことがあったと思えば、後日天の王の宮殿の中に於いて、永遠に天主様と一致する時の歓喜福楽はどれほどでありましょうか?天国には私の歓喜には終わりがなく、そこから出発せねばならぬという悲しみもありません。また私等が致した如く聖き記念として聖主のご存命中生活して居られたこの家の壁を、ひそかに欠いて持ち帰る必要もありません。なぜならば天主の住居はいつまでも永遠に私等の住居となってしまうからであります。
 御主がご自分の住居しておられた地上の家を私等に与えたいという聖慮ではなく、ただ貧窮とか質素とか、隠れた生活を重んじさせるために見せてくださるのでありまして、私等の為に残しておられる住家は御自身の光栄の宮殿であります。そこには最早幼児の姿ではなく、また僅かのパン(聖体)のうちに覆われておられるのではなく、限りなき栄光を帯びて光り輝いておられる、実際の御容姿を拝することが出来ましょう。
 これからローマについての事を申し上げましょう。私はローマに行くならば、そこで修院に入る好き返事を受けて慰めを得るであろうと思うておりましたところが、却って悲しみが待っておりました。このローマに着いた時は夜でありまして、私は汽車の中で眠っておりますと、駅夫は勿論、参拝者の多数は喜び勇んで、ローマ!ローマ!と騒ぎ叫ぶ声に驚かされて目が覚めました。これは夢ではなく実際にローマに着いておりました。
 最初は真に愉快な楽しい一日をローマの郊外を巡りました。全ての建築物は古代の風がそのままに残っておりますが然しローマの中央はこれと違って大きな旅宿や商店の前を通ると別にパリ市と違ったところがありません。このローマ郊外の見物は特に私に深く愉快な感想を残しました。殊にコロッセオ(むかし多くの公教信者が猛獣の餌食となって天主様の為に身を捧げたところ)の遺跡に行くと何とも言えない深い感想が致しました。ああむかし多くの殉教者がイエズス様のために血潮を流した場所はここである……最早彼らの光栄ある名高い戦いによって聖とせられた。その地の址に接吻いたそう……と、しかし予想が外れて、今日この有名なコロッセオは余程壊れて4間ばかりも地上げせられ、遺物を掘り取るために所々深く掘られ、中央はただ種々の破片ものなどが集められてあります。そして通行の出来ないように保存する工事中でありましたので、あまりに危険で誰もこの中に入るものがありませんでした。
 しかし私等はせっかくローマに来てこのコロッセオの中に入らず帰るのは如何にも遺憾であると思いましたので、私は最早案内者の説明も聴かず、ただこの中に入りたいという事のみを望んでおりました。