組織の精神はトップから生まれる。
組織が偉大たりうるのは、トップが偉大だからである。
組織が腐るのはトップが腐るからである。
「木は梢から枯れる」との言葉どおりである。
範とすることのできない者を高い地位につけてはならない。
:「マネジメント 課題・責任・実践」
偉大なトップはマネジメントを機能させる能力に長けている。
マネジメントを機能させる能力は見える化できないので成果でしか確認できない。
また、マネジメントを機能させる能力があっても成果があがるとも限らない。
さらに、マネジメントを機能させる能力を発揮させるには、環境が必要であり、環境創りにはある程度の時間を要する。
実のところ、既存の組織においてはマネジメントが機能する環境創りの方がマネジメントを機能させるよりも難しい。
ドラッカーはマネジメントをネクスト・ソサエティのリベラルアーツにするよう提言した。
しかし、実際は「仕事とは、それぞれの個性である強みを生かして協力しあって成果をあげることである」ということを教えるだけでよいのかもしれない。
偉大なトップは組織が創ったともいえる。
長い時間をかけて大きな組織を創る過程において、トップが偉大になる。
ICTの普及により、国家を超える大きな組織が現れるようになった。
従来は、それぞれの国に数人の偉大なトップが存在できたが、グローバル社会におけるトップは地球単位になってしまった。
トップが生身の人間であれば、いかに偉大なトップであっても必ず亡くなるので、組織が偉大なままで存続することは難しい。
AmazonのベソスはAIを後継者にするように準備しているような気がする。