ドラマネ倶楽部の理念は、「一緒にやれば、もっとできる!」 

VW

父の死をきっかけに臨床医を辞めまして、研究者になろうということでアメリカに渡りました。当時はまだアメリカでしか学べない研究技術がたくさんございましたので、アメリカに行って最先端の研究技術を身につけました。

いろいろなことを身につけたのですが、結局、一番身についたのは研究技術ではなくて生き方でした。

自分の生きていく上での非常に貴重なモットーのようなことを教えてもらいました。

それを教えていただいたのが、当時のグラッドストーン研究所研究所長ロバート・マーレー先生であります。

いまだに家族ぐるみでご指導、お付き合いいただいている、本当にアメリカのお父さんのような存在の先生でありますが、彼がある時、私たち若い研究者を集めまして、「研究者として成功するための秘訣を教えてあげよう。それはVWだ」とおっしゃいました。

マーレー先生は、当時もいまもフォルクスワーゲンに乗っておられます。

それになぞらえて、「VW」と言われたんだと思います。

私は、当時もいまも、アメリカでも日本でも、トヨタに乗っておりまして、その段階で「VWではダメだ」と思ったんですが(笑)、もちろん、この場合のVWは、ドイツの車の話ではなく、「vision and work hardだ」とおっしゃいました。
Visionの「V」と、Work hardの「W」、この2つを守れば、研究者として、人間として大丈夫だということをおっしゃいました。

同時に、「伸弥、君はものすごくワーク・ハードしているのはよく分かっている。でもビジョンは何だ」と聞かれました。

幼い子供と、妻も自分の仕事を中断してまで一緒についてきてくれていたのですが、僕は「妻子を連れてアメリカに来ているのは、いい研究をして、論文をいっぱい書いて、研究費をいっぱい貰って偉くなりたいからです。教授になりたいんです」というふうにすぐ答えました。

いま日本語に訳して言っていますが、当時は英語ですらすら答えました。

本当にそう思って、毎日一所懸命実験していましたので。

そうするとマーレー先生は、「何言っているんだ、伸弥。それはビジョンじゃない。偉くなるのも、研究費をいっぱい貰うのも、ビジョンを達成するための手段だろう。本当のビジョンは何だ、なぜ医師を辞めたんだ。どうしてアメリカまで来て研究してるんだ」と。

そこまで問い詰められてようやく思い出しました。

自分がなぜ数年前に臨床医を辞めて研究者になったのか、それは先ほど述べましたように、父のような、いまの医学では治せない患者さんがたくさんいる。

そういう人たちを治せるとしたら、それは研究です。

だから研究者になった。

ものすごく単純明快で大切なビジョンを、たかが数年で忘れてしまう自分にびっくりしたんですけど、VWという言葉のおかげで自分が研究者になった理由を思い出すことができました。

いまだに忘れてしまいます。

自分がなぜ研究者になったのか、毎日忙しいとすぐ忘れてしまいます。 

ですから、こうやって時々こういうVWのお話をさせていただくのは、ほとんど自分のためであります。

自分にいまだに言い聞かせて、自分は論文のためではなく、研究費のためではなく、患者さんを治すために研究をしているんだということを言い聞かせているわけであります。

(本記事は月刊『致知』創刊40周年特別記念号から一部抜粋・編集したものです。 あなたの人生、仕事力を高める記事が満載の月刊『致知』。詳細・ご購読はこちら

山中 伸弥(やまなか・しんや)
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人は本当に大切なことをすぐに忘れてしまう。

だから本当に大切なことは常に確認できるように、最低でも1年に1回は思い出す努力と仕組を構築して習慣化する必要がある。

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