どうも囲碁アートの関です。
前回の記事では、この囲碁アート「プロペラ」の、最善手の展開の話をしました。
しかし囲碁は、一番良い手を見つけるのが難しい場面が多いです。
対局している最中に、どの手が一番良いのかを自力で確かめる方法がありません。
石を置き直して確かめたり、あるいはAIを使わないとですね。
実際に人間同士で、この囲碁アートから勝負をしたときには、また違ったことになるでしょう。
黒が1手目を打ちました。
ここから、白が取りうる態度は、大きく分けて二つです。
前回の記事にあったように、相手と同じ手を打ち続けて
この形になるかは分かりませんが、「持碁」(引き分け)に持っていく。
もう一つは・・・
黒の人とは違う感じで打ち、違う形にもっていく。
違う形になれば、できあがりの陣地の大きさも違ってきます。
つまり引き分けではなく、勝負をつけにいく方針です。
これにもまた、二種類ありそうですね。
わたし個人的には、黒1・黒3が、一番いい陣地の取り方だと思っているのですが
白2・白4は、あえてちょっと損だと思う手を打ってでも、展開を変える戦法です。
(実際のところ、黒5「サルスベリ」というめっちゃ良い侵入があり、右上は白が損だろうな~と思う。の図)
もう一つは
相手がヘンな手を打った!!と思ったときに展開を変える。
自分のほうが得な手を打って、勝ちを目指すパターンです。
この黒1・黒3は損だと思うので、白2・白4とすれば白が勝てそうです。
この瞬間、火花が散っているでしょう。
黒1の手をマネずに、白2って打つということは
「その黒1、ヘンじゃない?そうは打ちたくないね~」
ってことですからね。
一番穏やかな引き分けから、解釈の違いをぶつける戦いまで。
この作品は駆け引きの要素を持っており、二つの世界観の選択を人間に迫っています。
この火花には、わたしはとても見覚えがあります。
「マネ碁」という囲碁の戦法と、それを愛用した故・藤沢朋斎九段の勝負の仕方です。
「マネ碁」
(マネ碁の一例)
黒1に対して白2、黒7に対して白8など、反対側のところに、そのまま同じ手を打ち返していく。
同じような形になり同じような陣地ができますが、
囲碁の勝負は「コミ」があり、黒の陣地がマイナスされるので、最後まで同じような感じになると白が有利。
黒は、なんとか展開を変えないと負けてしまうわけです。
先に言っておきたいのですが、全く推奨しません。
やられた方は困るし、イライラします。ほんとに嫌われちゃいます。笑
信念を持ってやる
そのうえで、マネ碁対策をしっかり知っているくらい強い相手に、あえてやる
これらを満たせばギリギリ大丈夫か・・・?
囲碁では、相手との信頼関係が壊れるようなことは非倫理なのです。(筒井さんも言っていましたね)
さて、そんなマネ碁を、日本一にもなったことがあるトップの棋士が愛用していたのでした。
藤沢朋斎(ほうさい)九段は、昭和を代表する棋士の一人です。
「昭和の碁聖」呉清源九段との幾度もの十番碁で死闘を繰り広げました。
もちろん批判されもしましたが、藤沢九段は「ただ勝つための手段」としてマネ碁を使ったのではなく、
囲碁や勝負の真理を追究しようとしてマネ碁に取り組んだフシがあります。
右下と左上が、こうなったことがありました。
(棋譜全体は権利の関係で使えないので、ネコチャン置いときます)
お相手は、こう打ちました。
なるほど、△の黒をつなげて守りつつ、下に陣地のようなものができます。
文句なしの良い手。
マネ碁中の藤沢九段、左上でも同じにするかと思いきや
白2。こう打ちました。
aならマネ碁だったはず。
なんと自分からマネをここで止めて、相手と違うことをしました。
これは、上のところは守らず、左上の黒への攻めを重視した感じの手です。
迫力がある。
守らなかったのなら、入るぞ と黒3に打ち、
白4と逃げて、石がからみつく戦いの展開です。
黒の右下の手と、白の左上の手。
どちらも良い手で、正しいほうは誰にも分からない場面です。
(もしかしたら、黒のほうが正しかったかも知れない。ネコチャン部分の状況にもよる)
それでも、黒の手のその直後、目の前で異論をぶつけ、
「こっちのほうがいいんじゃないですか」
と勝負していくわけです。
このマネ碁の使い方、ただ相手についていくラクなやつじゃないですね。
このケースのように途中で変えることもあれば、とうぶん続けることもあります。
そうなるとオリジナルな展開ではなくなる気がしますが、
それも囲碁の確かな一面であること、
藤沢九段しかやる人がいないので逆にオリジナリティがあることで
個人的には面白いと思います。見てる分には。
次回、いまだに評判がちょっと良くない、この藤沢九段の考え方について、さらに迫ってみたいと思います。
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