ここは千波湖湖畔です。
「桜田門外の変」で良く通ったオープンロケセットも間もなく撤去されます。
中国との不戦の誓いが目を惹きます。
瑞龍山には水戸藩累代藩主一族の墓以外に朱舜水の墓があります。
朱舜水は、中国明代の儒学者であったが、
明の滅亡に際し援助を求め来日し、清の成立に伴い亡命し帰化しています。
徳川光圀は朱舜水を敬愛し水戸藩に招いています。
水戸学へ思想的に多大な影響を与えています。
光圀の修史事業(後に『大日本史』と命名)の編纂に参加した
安積澹泊や、木下道順、山鹿素行らの学者とも交友し、
漢籍文化を伝えています。83歳で死去。
死後には光圀により遺稿の編纂が行われ、
正徳5年(1715年)には『舜水先生文集』全28巻がまとめられています。
東京大学農学部内には “朱舜水先生終焉之地”
と記された碑があるそうです。
墓所は水戸藩主累代の墓地である瑞龍山(茨城県常陸太田市)で、
明朝様式の墓が建てられました(非公開)。
常陸太田市は朱舜水の生誕地、中国余姚市(中国浙江省)と
友好都市交流をもっています。
先日、朱舜水の子孫が茨城県知事を表敬面会していました。
不再戦は永遠に続けて欲しいですね。