Johnny’s Dazed And Confused Days

〜ジョニーのぼんやりと混乱した日々〜

♪ この胸のときめきを / エルヴィス・プレスリー:1970年作

2024年01月06日 08時00分00秒 | 1970年代の洋楽
機を逸する
よいタイミングを逃す。


ちょっとした機会を逃したことが、後になって「あの時に・・・」と後悔するまさかの要因になったりするものです。

ほんの少しのすれ違いで、その人のレコードを買わなかった事があります。

今日はアナログ時代にそれが原因したのか、とうとうレコードを1枚も手にすることがなかった偉大なアーティストの曲の紹介です。

毎月1枚のシングル盤
まだレンタルなんて便利なシステムがなかった時代、毎月小遣いが出たら買う、シングル盤はそれはそれは思い入れの深い物でした。
厳選したレコードを買うために向かったレコード屋さん・・・
しかし、そのレコードは一足遅れで売り切れた後でした。
このことはサンタナのBlack Magic Womanをエントリーした際、お話しました。 

今日はその時買いそびれてしまった曲の紹介です。


【 Single Data 】
リリース:1970年10月6日
チャート:Billboard 11位、英国9位


今日ご紹介するのは、エルヴィス・プレスリーの70年代のヒット曲「この胸のときめきを You Don't Have to Say You Love Me」です。
勿論、この曲がヒットした1971年の時点で、プレスリーがビートルズのメンバーが少年だった頃のアイドルであったことや、“ロックンロールの王様”と言われる偉大なアーティストであることは知っていました。

そういった意味で、自分にとってリアルタイムでの初めのプレスリーのこのヒット曲は非常に思い出深いものとなりました。 


ドラマチックで風格を感じさせられるこの「この胸のときめきを」ですが、まさか女性シンガーのヒット曲のカバーであることは、想像すらしませんでした。
この曲の英語の元歌は、ロンドン生まれの白人女性ポップス、ソウルシンガーのダスティ・スプリングフィールド。 彼女のことは、1976年にベイ・シティ・ローラーズが彼女のデビュー曲の「二人だけのデート I Only Want To Be With You」をヒットさせたことで知りました。


先ほど、「英語の元歌は」としましたが、実はこの曲の原曲は、イタリアのシンガーソングライターのピノ・ドナッジオが、1965年のサンレモ音楽祭で歌った「Io che non vivo (senza te)」という曲。 この曲を気に入ったダスティ・スプリングフィールドのたっての願いで英語歌詞が付けられました。

それにしても、ストリングスと共に静かに入るピノ・ドナッジオダスティ・スプリングフィールドとは対照的に、イントロなしで、いきなりのドラマチック展開で打って出たエルヴィス・プレスリーのカバーはお見事ですね!

この胸のときめきを / エルヴィス・プレスリー
君が必要だと言った時
いつでもそばにいると答えたよね
変わったのは君、僕じゃないよ
そして君は去って行った

君が居なくなった今
ここで僕はたった独り
だから君を追いかけて
戻って欲しいとせがむ

愛しているなんて言わなくてもいいさ
二人一緒にいたいだけ
ずっと一緒にいてとも言わないよ
君の気持ちは分っているから
信じて 信じてほしい

愛さずにはいられないけど
信じて、決して君を束縛したりなんてしない

残ったものは思い出だけ
活気もなく嘘のような毎日
寂しさだけが残されて
もう何も感じない

愛しているなんて言わなくてもいいさ
二人一緒にいたいだけ
ずっと一緒にいてとも言わないよ
君の気持ちは分っているから
信じて 信じてほしい

愛しているなんて言わなくてもいいさ
二人一緒にいたいだけ
ずっと一緒にいてとも言わないよ
君の気持ちは分っているから
信じて 信じてほしい

信じておくれ






2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (なおとも)
2024-01-06 10:40:05
おはようございます!

なんと懐かしい、そして大好きな歌を有り難うございました!私、この曲、レコード数種持っていました。超下手くそですが、全部歌えました。
名曲ですよね。懐かしくて嬉しかったです。なおとも
返信する
Unknown (ikenaijoni)
2024-01-06 15:43:47
なおともさんへ

こんにちは😃
僕にとってのプレスリーの思い出は、この曲と1、2年後にヒットした「Burning Love」と確かハワイ(もしかするとラスベガスだったかも)だったと思うけど、TVで観たステージだけなんですよね。
何となく、ステージでのプレスリーは結構辛そうなイメージがあり、1977年の夏に亡くなった時も「やっぱり早死にしちゃったな」と妙に納得した記憶があります。
返信する

コメントを投稿