One of these days is none of these days!
「そのうち」という日はない!
何とかチャンスをものにしようと、今、出来ることに全力を尽くす・・・
今日は、“デビュー間もないビートルズが売り込む為の努力を怠っていなかった”という事実を物語る曲の紹介です。
1963年の2月から3月に掛けて、ビートルズはヘレン・シャピロをメインとした全国興行の前座を努めました。
興行ツアー中、“Lennon-McCartney”コンビはヘレン・シャピロに曲の提供を申し出ますが、“歌詞が暗いから・・・”と理由で肘鉄を喰らいます。
チャンスを逃したのは?
こうしたエピソードは、当時のビートルズのメンバーが何とかチャンスをものにしようと必死になっていた事を物語る貴重なものですね。
興業を続けている間にビートルズの「Please Please Me」がチャートを上昇して、興行の主役は逆転する事になります。
ヘレン・シャピロが英国で人気絶頂だったのは前年の1962年の頃までで、この時期は徐々に人気に翳りが見えて来ており、翌1964年の「Fever」という曲を最後に完全にチャートから忘れられた存在になります。
もしかしたら、この時、ビートルズの申し出に対し、いきなり拒否するのではなく、「歌詞を少し女の子らしいものに変えてもらえないだろうか?」など、大人の対応をしていたら、この後も“Lennon-McCartney”からの協力を得られて、もう少し人気が長持ちしていたかも知れませんね。 恐らく、見下した態度をとったんでしょうね!
【 Album Data 】
リリース:1963年3月22日(Mono盤)、4月26日(Stereo盤)
チャート:英国1位(30週連続)
恋人に去られた悲しい気持ちを歌った・・・
そんな事で、今日ご紹介するのは、16歳の女の子から肘鉄を喰らった曲として有名な「Misery」の紹介です。
タイトルが「Misery」・・・悲惨、みじめ
5回も「みじめ」という言葉が出て来て、最後が「みじめ、みじめ、みじめ・・・」と繰り返される!
どう考えても、16歳の女の子、しかもアイドルに歌わせるには、少々、酷のようですね!(笑)
それにしても…ピアノの音色が心地良い!
この曲、ジョージ・マーティンの弾くピアノが、全体に効果的なアクセントを及ぼしております!
マーティンは、この曲を倍速で録音し、後日、キーを下げた普通の速さでピアノを録音~その二つを併せて完成させました。
1965年の「In My Life」でも、ピアノの音色の雰囲気を出すため、これと似たような手の込んだことをやっております・・・
何れにせよ、この「Misery」という曲、誰でも知ってるという曲ではありませんが、単なるアルバムの中の1曲じゃなく、その曲の成り立ちやピアノに工夫などを考えると非常に重要な曲であったように思います。
ミザリー / ザ・ビートルズ
世の中が僕につらく当たる・・惨めな話さ
僕は男だからさ
涙なんか見せたことはなかったけど
世の中が僕につらく当たる・・惨めな話さ
あの娘は去っていった
もう会うこともないだろう
生きていくのがいやになる・・惨めな話さ
二人で作った思い出は
どんなに些細なことだって忘れない
あの娘にはわからないんだろうか
僕にはあの娘しかいないのに
あの娘を返してくれ
誰にでもわかることさ
彼女がいなくちゃ僕はダメだよ
二人で作った思い出は
どんなに些細なことだって忘れない
彼女もきっと忘れずに
惨めなこの僕を恋しがるに決まってる
あの娘を返してくれ
誰にでもわかることさ
彼女がいなくちゃ僕はダメだよ
惨めな僕
惨めな僕
惨めだよ
世の中が僕につらく当たる・・惨めな話さ
僕は男だからさ
涙なんか見せたことはなかったけど
世の中が僕につらく当たる・・惨めな話さ
あの娘は去っていった
もう会うこともないだろう
生きていくのがいやになる・・惨めな話さ
二人で作った思い出は
どんなに些細なことだって忘れない
あの娘にはわからないんだろうか
僕にはあの娘しかいないのに
あの娘を返してくれ
誰にでもわかることさ
彼女がいなくちゃ僕はダメだよ
二人で作った思い出は
どんなに些細なことだって忘れない
彼女もきっと忘れずに
惨めなこの僕を恋しがるに決まってる
あの娘を返してくれ
誰にでもわかることさ
彼女がいなくちゃ僕はダメだよ
惨めな僕
惨めな僕
惨めだよ
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