懐かしい邦楽:029 〜 三畳なのに代表的な“四畳半フォーク”といわれている曲
【 Single Data 】
リリース:1973年9月20日
チャート:オリコン1位
大学生の頃、学校近くで下宿生活を送りました。
その下宿の“一番の売り”は、5m程の道幅の通りを挟んだ向かい側に銭湯があったところでした。
「秒で銭湯」って事ですね♫
下宿事情
8歳上の兄は朝晩の賄い付きの下宿で、当時はそれが普通だったようですが、僕の時代には、そうゆう下宿屋は殆どなかったですね。
当時の下宿事情というと、玄関を入ると大きな共同下駄箱、そして廊下があり、各部屋がずらりと並んでいる。
廊下の奥の方に共同の流しやトイレがあり、部屋の大きさは、四畳半プラス押し入れが標準だったと思います。
六畳の部屋なんて贅沢でした!(^O^)
サークルの仲間で3畳の部屋に住んでいる奴もいましたが、よりによってそいつはサークルで一番身体がデカかった!
しかし、その3畳にも良いこともありました・・・
一度、その3畳の部屋で麻雀をやった事があり、狭い方の席は背もたれはなくとも壁にもたれられ、その2席は争奪戦でした(笑)
母の愛情
毎月の楽しみは、何といっても、お菓子やインスタント・ラーメンや米などがいっぱいに詰め込まれた母からの荷物でしたね♫
下宿した人なら絶対に分かって貰えると思います。 ダンボールを開ける時のトキメキは何物にも代え難いものでした。
それでも月末近くになると困窮生活を余儀なくされましたが、友人と食べたキャベツ炒めと納豆の貧しい夕食は今でも忘れられない思い出のひとつですね(^O^)
【 Album Data 】
リリース:1974年3月5日
チャート:オリコン1位
ユーミンが命名?
さて、話を音楽の方へ戻します。
当初、フォークソングは社会や政治に対しての問題点を歌うものが主流を占めていましたが、次第に恋愛など自分自身の事が歌われるようになって来ました。 そういった中から生まれたのが、今日ご紹介する“南こうせつとかぐや姫”の「神田川」という曲でした。 何となく貧乏臭い生活感に満ちたこういった曲は、やがて“四畳半フォーク”と呼ばれるようになり、この「神田川」や次作の「赤ちょうちん」はその代表的な曲と言われるようになりました。
この“四畳半フォーク”というのを命名したのはユーミンで、自らが「私が最初に言った」と証言しております。 もしかすると他の誰かが先に言っているかも知れませんが、何れにせよ、ユーミンがそのように感じ、発言したことは間違いありません。
ユーミンはあくまでもアップタウンのお嬢さんというイメージの曲でしたから、その対局にあるようなこういった曲が同時期にヒットしていたのはユニークですね♫
それにしても♪三畳一間の小さな下宿〜♬と歌われるこの曲が、“四畳半フォーク”の代表曲というのはおかしなもんですね♫
おはようございます。
皆、同じような経験をしてますね。
僕のこの下宿も陽が当たらない部屋で、母と父が尋ねて来て、下宿を見ると、びっくりして「直ぐに部屋を探すように」と言われ、年度替わりに卒業する先輩の部屋に引っ越ししました。
その下宿も同じ風呂屋に近い場所で、“秒で銭湯”から“銭湯まで5分”に変わりました。