港町リバプールは違っていた!
巷では、当たり障りの無いアイドルが幅を利かせていたイギリス音楽界、しかし港町のリバプールでは、「外国の船乗りが、最新の音楽を持って来るから、この地だけは他と違って激しい曲の方が好まれた!」
こんな内容のことをペースメーカーズのジェリー・マースデンが語っているDVDを見た事があります。
今日ご紹介するのは、愛する故郷リバプールを歌ったジェリー&ザ・ペースメーカーズのヒット曲を・・・
巷では、当たり障りの無いアイドルが幅を利かせていたイギリス音楽界、しかし港町のリバプールでは、「外国の船乗りが、最新の音楽を持って来るから、この地だけは他と違って激しい曲の方が好まれた!」
こんな内容のことをペースメーカーズのジェリー・マースデンが語っているDVDを見た事があります。
今日ご紹介するのは、愛する故郷リバプールを歌ったジェリー&ザ・ペースメーカーズのヒット曲を・・・
マージー河の辺で生まれたサウンド
1960年代初頭のリバプールのライヴ・ハウスの熱気というものは凄かったんでしょうね!
後にイギリスのチャート、及びアメリカのチャートを席巻するビートルズを筆頭にペースメイカーズ、サーチャーズなど、多くの未来の大物グループがひしめき合っていたことを思うと、その時代のリバプールの若者は何と恵まれていたのでしょう!
ビートルズ自身も「ハンブルグ時代の俺達は最高のライヴ・バンドだった」と言ってることからも、ハンブルグ帰りの当時のビートルズとそれを取り巻くライバル・バンド達のライヴでのバトルは最高だったと断言できます!
リバプール出身のバンドは、河口都市となっているマージー河にちなんで“マージービート”といわれ、“ブリティッシュビート”と云われたそれ以外の英国バンドと一線を画されていました。
1960年代初頭のリバプールのライヴ・ハウスの熱気というものは凄かったんでしょうね!
後にイギリスのチャート、及びアメリカのチャートを席巻するビートルズを筆頭にペースメイカーズ、サーチャーズなど、多くの未来の大物グループがひしめき合っていたことを思うと、その時代のリバプールの若者は何と恵まれていたのでしょう!
ビートルズ自身も「ハンブルグ時代の俺達は最高のライヴ・バンドだった」と言ってることからも、ハンブルグ帰りの当時のビートルズとそれを取り巻くライバル・バンド達のライヴでのバトルは最高だったと断言できます!
リバプール出身のバンドは、河口都市となっているマージー河にちなんで“マージービート”といわれ、“ブリティッシュビート”と云われたそれ以外の英国バンドと一線を画されていました。
【 Single Data 】
リリース:1964年12月
チャート:米国6位、英国8位
リリース:1964年12月
チャート:米国6位、英国8位
今日ご紹介するのは、そのマージービートの名称の由来であり、“マージー河”そのものを題材に曲にした、故郷リバプールの賛歌ともいえる曲「マージー河のフェリー・ボート Ferry Cross The Mersey」です。 1964年末にリリースされると、1965年の初めに、全英8位、全米6位と大ヒットを記録しました。
ムーブメントはファンにとって・・・
ビートルズがアメリカで前代未聞の大成功を収めた時、古くからのリバプールのビートルズ・ファンの女の子が、「彼らはもう私たちだけのビートルズでなくなってしまう」とポツりと呟く映像を観たことがあります。
ムーブメントはファンにとって、痛し痒しだったということかな?
そんなことを考え合わせると・・・
どんどん地元から世界に羽ばたいて行ったバンドを複雑な心境で眺めていたリバプールの音楽ファンは、「この場所が大好きだから、僕は此処にずっとにいるんだ」と歌われるこの曲を特別な感慨を持って聴いたものと思われます。
マージー河のフェリーボート
/ ジェリー&ザ・ペースメーカーズ
人生は日一日と過ぎ去って行く
些細なことで心は引き裂かれ
フェリーがマージー河を渡って行く
この場所が大好きだから
僕はここずっとにいるんだ
何処へ行っても 皆忙しげ
それぞれ人には言えない心配事を抱えてる
フェリーがマージー河を渡って行く
このフェリーが故郷に連れ戻しくれる
僕の大好きなこの場所へ
何処へ行っても 街は人で溢れ返っている
皆 笑顔でこんなことを言う
有名にならなくたっていいんだよ
俺たちはいつだって君を応援してるんだ
そう、だからずっうと
僕は此処ににいるんだ
フェリーがマージー河を渡って行く
この場所が大好きだから
僕は此処にずっとにいるんだ
何処へ行っても 街は人で溢れ返っている
皆 笑顔でこんなことを言う
有名にならなくたっていいんだよ
俺たちはいつだって君を応援してるんだ
これからもずっと此処にいるつもり
僕は此処にずっとにいるんだ
フェリーがマージー河を渡って行く
この場所が大好きだから
僕は此処にずっとにいるんだ
僕は此処にずっとにいるんだ
僕は此処にずっとにいるんだ
僕は此処にずっとにいるんだ
/ ジェリー&ザ・ペースメーカーズ
人生は日一日と過ぎ去って行く
些細なことで心は引き裂かれ
フェリーがマージー河を渡って行く
この場所が大好きだから
僕はここずっとにいるんだ
何処へ行っても 皆忙しげ
それぞれ人には言えない心配事を抱えてる
フェリーがマージー河を渡って行く
このフェリーが故郷に連れ戻しくれる
僕の大好きなこの場所へ
何処へ行っても 街は人で溢れ返っている
皆 笑顔でこんなことを言う
有名にならなくたっていいんだよ
俺たちはいつだって君を応援してるんだ
そう、だからずっうと
僕は此処ににいるんだ
フェリーがマージー河を渡って行く
この場所が大好きだから
僕は此処にずっとにいるんだ
何処へ行っても 街は人で溢れ返っている
皆 笑顔でこんなことを言う
有名にならなくたっていいんだよ
俺たちはいつだって君を応援してるんだ
これからもずっと此処にいるつもり
僕は此処にずっとにいるんだ
フェリーがマージー河を渡って行く
この場所が大好きだから
僕は此処にずっとにいるんだ
僕は此処にずっとにいるんだ
僕は此処にずっとにいるんだ
僕は此処にずっとにいるんだ
♪ ♫ ♪ ♬ ♪ ♫ ♪ ♬ ♪ ♫ ♪ ♬ ♪ ♫ ♪ ♬ ♪ ♫ ♪ ♬ ♪ ♫ ♪ ♬
【 Single Data 】
リリース:1989年5月8日
チャート:英国1位
ヒルズボロの悲劇
1989年4月15日、ヒルズボロ・スタジアムで行われたFAカップ準決勝のリヴァプール対ノッティンガム・フォレスト戦において、ゴール裏の立見席に収容能力を上回る大勢のサポーターが押し寄せたことにより死者96人、重軽傷者766人を出す惨事となった発生した群集事故である。 死者の多くはリヴァプールサポーターの若者や子供だった。~ Wikipedia より
ポール・マッカートニーやジェリー・マースデン等が中心となり、事故の翌月5月8日に、この惨事の遺族への義援チャリティ・ソングをリリースしました。
その時に使われた曲と云うのが愛する故郷リバプールを歌ったこの「マージー河のフェリーボート」でした。
リバプールの人の心を捉えている曲ってことですね!
リリース:1989年5月8日
チャート:英国1位
ヒルズボロの悲劇
1989年4月15日、ヒルズボロ・スタジアムで行われたFAカップ準決勝のリヴァプール対ノッティンガム・フォレスト戦において、ゴール裏の立見席に収容能力を上回る大勢のサポーターが押し寄せたことにより死者96人、重軽傷者766人を出す惨事となった発生した群集事故である。 死者の多くはリヴァプールサポーターの若者や子供だった。~ Wikipedia より
ポール・マッカートニーやジェリー・マースデン等が中心となり、事故の翌月5月8日に、この惨事の遺族への義援チャリティ・ソングをリリースしました。
その時に使われた曲と云うのが愛する故郷リバプールを歌ったこの「マージー河のフェリーボート」でした。
リバプールの人の心を捉えている曲ってことですね!
それにしても、今でもリバプールの人達に慣れ親しまれてる曲が2曲もあるジェリー&ザ・ペースメーカーって、どんだけ偉大なバンドなんだろう!
よく知っている曲ですが、多分このブログを拝読しなければ、忘れていたと思います。昔の様にラジオをあまり聞かないので、貴ブログで音楽を楽しんでいます。有り難うございます。なおとも
おはようございます🌞
ブログを書いてる当人も、不思議なもので、ひとつ思い出すと次から次と思い出す事も多くあります(^O^)
それにしても、ヴォーカルのジェリー・マースデンは、本当に歌が上手いですねえ!
今ではすっかり良いお爺さんになってしまいました。
昔、NHKFMでよくやっていましたが、
「マージー河のフェリーボート」は、サビの部分が印象深くて
記憶に残っていますね。
逆にタイトルがインパクトのある「ピンと針」は
どんな曲だったっけ?となったりしています。
おはようございます😃
ペースメーカーズのバラード2曲が今現在もリバプールの人達の心の歌として残っているのは素晴らしい事ですね。
サーチャーズの「ピンと針」は、その後にデビューするバーズの様なフォークロック調のアレンジで新鮮さがあります。