旧米山町に「米山町農業生産組織協議会」というのがある。この町の農業を牽引してきた協議会だ。
米山町は、70年代から80年代の農政の寵児。
農業構造改善事業の優等生として全国的な脚光を浴びたまち。
朝日農業賞なども獲得しているが、その際の審査委員だった、今村奈良臣先生などは、トラクターが並んで走るのを見て、これは審査委員向けのやらせではないかと疑ったほど日本離れした光景を演出していた。
中心となっているのは、農業白書にも登場したこともある、「追土地グリーンステーション」。福泉博や吉村忠など。
もうかれこれ25年以上の歴史がある。
そこの総会に呼ばれて話をしてきたのである。
行って驚いたこと幾つか。
10年ぶり。だが、メンバーがあまり替わっていない。
しかもここ5年ぐらい会を開催してなかったという。
彼らが中心となって行ってきた、「米山町チューリップ祭り」も昨年を最後に中止するという。
確かこの組織の発会の頃は、私は何度も足を運んだが、熱気にあふれていたことを思うと、昔日の感がある。
ただ、何より驚いたのは、「米山町の中でものがいえなくなってしまった」というのだ。
「エー、どうしてなの、あんた達がいなけりゃ、登米の農業もやっていけないだろうに」
というと。
「農政の変わり目変わり目で、みんなで話し合うが、結局、おまえ等だけがいい思いをするだけだろう」と言われるというのだ。
あきれかえってしまった。
確かに宮城登米農協は、米政策改革大綱に反旗を翻したところ。我が国で最も過激に構造改革路線に反対している農協だ。
そんな農協の宣伝もあったのか、兼業農家や農業を一生懸命取り組まない人が補助金をもらえる仕組みにしないといけないのだという。
専業農家に限定した農政には反対なのだろう。
あきれて開いた口がふさがらなくなった。
10年たつとこうも変わってしまうのかと、悲しくなって戻ってきた。
最新の画像もっと見る
最近の「農政 農業問題」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2020年
2019年
2014年
2004年
人気記事