オープンソースのリナックスのことだ。
大所のコンピュータ会社は、大体がリナックスを利用しているという。
先日レッハットの、松浦徹氏に聞いたら、その理由は、使い勝手と、コストという。
リナックスは、固定費のみ。利用数が高くなればなるほど、1件当たりのコストは安くなるという。
ところが、ウインドーズは、利用に応じて変動費もかかるため、規模のメリットがリナックスよりは出にくい。
そこで、大手はすべからくリナックスへ、というのが理由らしい。
ただ多くの人に知られていることではあるが、このリナックスとウインドーズ、最も違うのは、技術革新の仕方にある。
ウインド-ズは、これまでの多くの会社と同じ手法。
つまり会社に技術者がいて、彼らがウインドーズのバージョンアップに苦心惨憺している。技術の内容は企業秘密になる。
普通の社会と違うのはリナックスの方。リナックスは、様々な人の参加によって技術革新がなされている。内容をオープンにし、様々な人が自分の使いかってで、改善点を提案できる仕組み。多くの人の参加でバージョンアップをはたしている。
クローズとオープンの違いがそこにはある。
まずユーザーとの距離。リナックスの場合は、ユーザーが直接改善を行うことができるのに対し、ウインドーズは、ユーザーの意見を聞いて社内の技術者が行うため、間接的になる。ユーザーの意見を採り上げるか否かの判断が一度はいる。
第二に、改善する人のスタンス。たとえば、ウインドーズが、1千人の技術者が1日、8時間労働によって新たな革新をはたすとしよう。つまり1日8千時間の労働が投入されることになる。
これに対し、リナックスは、すべてボランティア、たとえば、10分のボランティアで、4万8千人の人が関与すれば、実にウインドーズと同じ労働が投下されることになる。
労働投下は同じでも、それが系統的な技術革新につながるかどうかはよくわからないものの、それでも現実にリナックスは、この仕組みでウインドーズと対等に競っている。
このビジネスモデル、充分に世界に通用しているということだ。
雇用をせず、人々の善意やボランティアに頼った企業が実は、世界の大企業と互してやっていける、というのが、リナックスの経験だろう。
正直、古い社会観を持つ私には、雇用なしで成長できるこうしたシステムは、驚異である。考えられないシステムである。
それでも社会では、オープンで、人々の善意にのっとった、知識の創造がビジネスが成立しているのである。成立しているどころか、これからはこうした方向に社会が行くのではないかとさえ感じさせる。
七不思議の一つといってもいいかもしれない。不思議で不思議でしょうがない。
が、ボランティアを考える人が多くなっていることを考えると、世の中はそんな方向に動いていくのだろう。
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