今日の一貫

大蔵村 三原さん 河北新報開墾

河北新報 「開墾」に三原ルツ子さんがでている。
何年前になるか、肉牛農家と一緒に山形県内で、塾活動をやっていた。三原さんは、夫婦で出席、心情ブロックの有力なメンバーだった。
牛肥で作った、アトピー様石けんや、ハーブ作りなど、当時の肉牛農家の発想を超えたアイデアと実行力があった。

レストランを作ったのもそんな頃だった。
山形県庁の人がよくレストランへよったという話をしてくれたことがあった。
横浜生まれの三原さんを支えるのは、いけ面の旦那さんだった。

いろいろな女性がいるが、こんなにあれこれ話をする女性も珍しい。
河北新報はいい人を捜し出した。



以下記事
(4)大蔵村(山形)/里の仏料理店/発想力生かし夢実現
2006年03月08日
 高さ2メートル近い雪の回廊を抜けると、ログハウスの農家レストランが姿を現す。店の名は「メーテール」。母を意味するギリシャ語だ。
 霊峰、月山に連なる山並みが迫る山形県大蔵村赤松地区。2月上旬、村で1軒のフランス料理店であるメーテールで、三原政幸さん(49)、ルツ子さん(44)夫妻は料理の仕込みに精を出していた。
 メニューは南仏プロバンス料理。三原家の畑で栽培した無農薬の野菜やハーブ、自分たちで育てた地鶏も使う。シェフもギャルソン(給仕役)も、夫妻が仲良く務める。
 「農家だからこそ、安全に育てた食材を使い、自分の舌でおいしいと感じた料理を出すんです」とルツ子さん。
 店は12年前、ルツ子さんの強い希望で誕生した。東北の山里と農家が生み出すフランス料理。意外な組み合わせを実現する発想と行動力は、嫁いだ時から変わらない。

 「農家の嫁になりたいのですが…」。22年前の春、東京から大蔵村役場にかけた1本の電話が、運命の道を開いた。
 農村の嫁不足を特集した写真誌で、大蔵の記事を目にした21歳のルツ子さん。東京生まれで農業とは無縁だったが、高校は親元を離れ、山形県小国町の基督教独立学園で学んだ。その体験が、田舎暮らしへのあこがれを膨らませた。
 電話の後、すぐ村へ向かった。農協の役員宅に泊めてもらい、結婚相手を探した。10日ほどして政幸さんと出会い、夏にはゴールインした。
 三原家は肉牛肥育と稲作の専業農家で、数千万円の借金があった。おかしいと感じたのは、牛の肥育。農家の間では、値段の高い血統のいい子牛を買い、餌にもお金をかけて育てるやり方が主流。だが、もうけが出るとは限らない。「経営も家計も見直した方がいい」
 同居の両親も、ルツ子さんの提案を受け入れた。安く仕入れた子牛を健康的に育て、採算が取れる値段で売るなどした結果、5年ほどで借金の大半を返すことができた。
 「確固たる信念と根気があれば、人間やれるもの」。農村の固定概念にとらわれないルツ子さんに、政幸さんも「意見を交わす中でいろいろ教えられた。家が明るく元気になった」と話す。

 15年前にルツ子さんは地元の海外農業視察団に加わった。訪れた南フランスの農家は「夫婦で役割分担をしていた。女性たちは『嫁』としての疲れも見せず、生き生きとしていた」。
 フランスがすっかり気に入り「フランス料理店をやりたい」と思い立ったルツ子さん。帰国後、渋る政幸さんを説得した。今度は一緒に渡仏。視察から3年後、夫の夢だったログハウスとセットで一気に店を実現した。
 自宅隣に造った店は6人がけのテーブルが一つ。昼と夜に1組ずつの客しか受け入れない。それでも評判を聞きつけ、四季を通じ県外からも客が絶えない。ひと月に300人が訪れるときもある。
 ルツ子さんは、出した料理を客ごとにノートに書き留める。次の来店時に、料理がだぶらないようにする心配りだ。政幸さんと毎年のように南仏に出掛け、メニューも増やしている。
 東根市でユースホステルを営む仙道隆さん(53)は宿泊客を伴い、度々店を訪れる。「ルツ子さんは豪快だけど繊細。こまやかなサービスと地場の食材を生かした味は各地から来る宿泊客に評判だ」。メーテールは大蔵の名を全国に発信している。

【写真説明】自慢の一皿を前に、政幸さん(左)と一緒に常連と談笑するルツ子さん(中央)。ざっくばらんなおしゃべりも、店の魅力になっている
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「地域・地方 経営・起業」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
2023年
2022年
人気記事