農協組織は、協同組合といいながら、そもそも自主的に作られた組織ではない。
戦時統制下で、集落をベースに行政がかなりてこ入れして中央集権的に作られたもの。
日本ファシズムの元になったものを根源としている。
中央集権的な性格は今もコメ事業などには根強いものがある。
そこが同じ協同組合といっても、生協などと根本的に違っている。
生協の全国連 日生協は、各地の意見の異なる生協の寄せ集め。
パルシステムやコープネット、ユーコーポや神戸生協などなど、、意見の異なる各地の生協が作った全国団体。中央集権的になりようがない、下から作り上げた組織だ。
政治的にも中立性を保持している。
法的にも中立性が義務づけられている。
また、信金など法的に中立条項がない協同組合は、自らを律して中立性を保持している。
一方農協は、、、
それはそれとして、農業を活性化しようとする場合、現場の農協のビジネスモデルと、全中、全農のモデルとが合わなくなっているのは、すでに多くの農協マンから聞く話。
現場に依拠した地域の農協は、分散的自主的農業振興策を模索するのに対し、全中・全農は中央集権的大量生産モデルで、中央の指令で統率しようとするというのだ。長野経済連が全農長野になる際に反対したのは当時の田中知事。
東京で決められたことで長野が律せられるのはたまらない、長野の個性がなくなってしまうというのがその理由。
農協が全国連と齟齬を来すのは当然のこと。
戦前の統制経済が未だに存在しメリットのある事業は、農業活性化以外の事業、たとえば、信用、共済事業など、グローバル化にあう事業、つまり規模のメリットが大きいこと、、であり、、、ところが、これらが農協を支える事業の根幹に育っているからやっかいだ。中央会も全農も、これに従っている。
こうした状況で、現場に根ざし、農業を活性化しようとする事業に従事してるものは、何も言えなくなってしまっている。
しかし、農協は、農業者が作る協同組合である。
その農業者が30万人しかいなくても、900万人の組合員を抱えて農協は安泰、というのはいかにもおかしい。900万人のうち半分は非農業者だ。
農業者とまがりなりにもいえるのは、175万戸の販売農家のみ。
しかしそれすらも怪しいもの。農業者といえるのは30万の主業農家だけではないか。
販売農家といっても、、農業所得が3万円から5万円弱しかない準主業農家や副業農家が4分の3を占める。
他に農業所得がゼロの自給的農家。
これらを全てあわせても250万戸にしかならない。
農協組合員で450万戸の農業者とは誰を指すのだろうか。
農協にとっては、「土地持ち非農家」も農業者なのだろう。
これらを全部「農業者」の概念に入れようとしているのが今の農政だ。
農業者の協同組合は、、どこかへいってしまった。
まーそれでも良いのだが、そのことで何が生まれるかというと、主業農家への冷淡な組合運営と、農業からの後退、農業所得の後退を甘受する農協だろう。
コメント一覧
宮仕え 太郎
農協太郎
最新の画像もっと見る
最近の「農政 農業問題」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2020年
2019年
2014年
2004年
人気記事