少し、農からみた日本、農的社会について書いてみました。
1,
多くの人々が生活の豊かさを求めるようになりました。近年、農は新たな生き方や生活を提案し始めています。その流れは、脱近代という社会状況にあってますます現実みを帯びてきました。農のライフスタイルとは、日常のささやかな感動を持続させる生活です。村を、丁寧に、じっくりと、観察しますと、そこには驚きに満ちた変化や自然の営みがあります。むらや農は、これまでそれらをじっくりと取り入れ、はぐくみ、かつ主張してきました。
農業は変化に満ちた多様で多彩な産業です。農の論理は多様性が命といってよく、工業の様な規格化・画一化とは正反対なものといっていいでしょう。この農が本来的に持っている多様性を生かそうとする動きが、新たな生活スタイルを築いています。
多様性を生かすには、違ったものを認めあわなければなりません。自然と人間の関係や、異なった考えの人など、農は、異質な他者をとりこみ自分たちのくらしや発想に生かしてきました。共生や融合といわれるもので、これこそ「農的な社会」の基本といってもいいでしょう。排除の論理とは全く逆の思想です。
我が国の集落も、協同組合の論理もこの農本来の論理をもっと自覚的に取り入れた方がいいというのが私の考えです。
2,
今は、商品があり余っているのに買いたいとものがない、というモノあまりの社会です。こうした社会では、個々人の感性が判断の中心になります。それは、百者百様、たくさんの人々の、いろいろな考えが錯綜する社会となります。多様になればなるほど、社会の編成論理は柔軟なものになり、多くの人に開かれるようになります。
人と違うのがあたりまえで、逆に、「皆と同じ・横並び思想」の方が不思議な社会となります。皆と同じで画一化しようとするロジックは工業化社会のロジックで、農的社会の論理ではありませんが、大量生産時代の強い組織は、規格化した剛い組織が基本でした。ひとつの考えで多くの人が動く必要から統率が大事になり、価値観を統一させようとするものでした。組織の規模も、大きい方がこれまた合理的とされました。
しかし、これでは多様な社会に適応はできません。これからの強い組織の基本は、開かれた柔らかい組織とならざるを得ません。一旦、「画一化・横並び」思考を廃してみると、フレックスやソーホーといった仕組みが思いつきます。主婦の質の高い労働力の利用が可能となったり、様々な人々の手が借りられるようになります。会社組織もピラミッド型(あるいはツリー型)組織よりも、アウトソーシングしたり、異質な人々の間をネットワークしたりするような組織が合理的になります。また情報伝達もこれに適合した方式に変わります。
多様な時代は、将にネットワークの時代です。いろいろな人が、いろいろな動機をもとに、様々な人と関係し逢う社会です。その様なインフラを農協が作ったとしたら、おそらく組合員数は飛躍的に増加するでしょうし、そうなれば、農協は国民的なインフラに成長することでしょう。
しかし、農協は、いまだに工業化社会の論理を一目さんに駆けているように思えてなりません。農業離れが農協にまで及んでいて、何か悲しい感じがします。
最新の画像もっと見る
最近の「地域・地方 経営・起業」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2020年
2019年
2014年
2004年
人気記事