個人を対象とした社会を目指すというこの本、全体の社会システムを、現場に近いところが意志決定の責任を持つべきとする、新自由主義的発想を下敷きにしている。共感するところが多い。
企業の自律、地域の自立が基本。
官主導型経済体制から民主導型経済体制への移行を目指す。
このゼミに途中から、小泉チルドレン?の土井亨さんが出席してくれた。偶然だったが、学生にはよかったよう。
社会はなかなか変わりえない要因として、①マニュフェストの問題、②公共事業依存の陳情の問題、③政策集団になりきれない政党の問題、④経団連と地方経済団体との違い、等々についてはなしてくれた。
ところでゼミ質問
①まず、なぜ、官主導が崩れないか?
政治家がだらしないとか、意見はいろいろあったが、システムとして強固になった背景は、やはり戦後の反省があったのでは、という見解。
我が国は、戦争の反省として、アンチ独裁としての民主主義がいわれた。その民主主義は、「民主としての議論の場」を保証することから、集団的な意志決定システムを一つの手法とし、さらには、当時としては効率的な中央集権的意志決定を併用する道を選択した。それは、結果の平等を極端に求めるものだったが、それが右肩上がりの成長の中で、破綻なく続いたという結果が大きいのでは。
ある種「独裁への抵抗感」があったのだろう。
しかし、それが縦割り社会を作り、責任の所在が不明確な閉塞社会を作ってしまった。
問題は、選挙講釈を掲げながらそれとは違うことをする政治家。それが恒常的になると、独裁や、反民主になる。日本人はそうしたことは相変わらず嫌いだろう。
典型的なのが橋本政権。火の玉になっても改革構造改革をやるといっていた同じ首相が、あっという間に、財政依存の景気対策に転換してしまったのは記憶に新しい。これはやはり違った思想を持った人がやるべきだった。ただ、政策的意志決定はスムースにやってほしい。
そこで、政策本意の政治が必要。マニュフェストで、政治家の行動を国民と契約関係におくのがはやりになったのでは。
(日本のマニュフェストはまだまだお遊び。政策形成集団が足りなすぎる)
②官僚的意志決定に変わるものは、トライアンドエラーをも仕組みの中に入れる、民の発想。誰も行動を規制しない。だから意志決定が早い。国民に受け入れられなければ、成功しない。そんな民の怖いところは、不正だろう。
コンプライアンス、が重要。
③経団連は変わったのか?
経団連は、東西冷戦時代は、経営者側で、対労働者対総評の代表だったが、冷戦が終わると、国家的枠組みで考えるようになったのではないか?特にここ10年ぐらいはそうなってきた。
特に、利益団体との距離は明らかに置くようになってきている。とはいえ経済成長至上主義であることは確か。経済成長あっての環境であり、公的なものだったり。
基本は自由競争、その上での様々な対応。基本的に賛同するものが多かった。
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