ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の話他、幕末〜明治維新の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮などの話も。

西南戦争開始前夜の逆スパイと「地獄の伝言ゲーム」

2024年02月19日 | 文学・歴史・美術および書評
という本を昨年出しました。

この主人公、田中直哉について
平成初期に出た雑誌では、(作家さんが薩摩寄りであるというのもあると思いますが)
田中は大洲鉄然という浄土真宗僧侶を扇動、利用したと書かれていたりします。

しかしその後、田中に対する研究は進みました。
供述についても「本当なのか、言わされたのか」は
田中直哉に限らず憶測は飛び交う所ですが…

後に政界の汚職を許せず
メンタルを病んで自殺してしまうほどの人、田中直哉は
つまり「正義漢でひたすら真面目」だったのではと思います。
腹黒く出世を目指すような人ならば、病まないのでは?
あと、本当に懇意にしていたからこそ、大洲は田中直哉が亡くなった後に
詩を残したのでは無いでしょうか。

その七言絶句の最後には

「走卒児童直哉を誦ず」

とあります。
意味は「無邪気な子供達が直哉の歌を歌っている(名前は残った)」
です。
子供はカンがいいので、本気で腹黒い大人なら寄って行きやしないのでは。


さて、その田中直哉らが薩摩入りして
私学校生が暴発する過程なのですが

川路利良はスパイ(ということになる)
…密偵団を送り込んでいました。柏田と田中もこの密偵団に入るんですが。
西南戦争勃発で有名?な電報「ボウズヲシサツセヨ」
これを持っていたのが中原尚雄。

その中原尚雄と親しかったのが田中直哉です。
当時の写真でも並んで写っています。


直哉は手紙の中で、
薩摩のトップ3(西郷、桐野、篠原)を片付けでもしない限りは
止めようにもムリ
という状況を書いております。


SNSではないですが、その一部が切り取られて大きくなる
不安下での地獄の伝言ゲームを考えるなら
例えば、田中が「西郷らを始末でもしない限り」
この部分が切り取られ、拡大されて中原(もしくは誰か)に伝わった。


面白いのが、この密偵団の中に
谷口登太
という、「逆スパイ」がいることです。

谷口は私学校生ではない士族です。
私学校生から頼まれて、中原らの密偵について探っている。
私学校生ではないので西郷側とは思われてない。
その谷口は中原と面識がある。

ということは、田中が言った「西郷らを始末でもしないと」が中原に伝わり
中原の言ったことが谷口に伝わる…

そうすると、「視察」を「刺殺」と読み間違えたというような
うっかりミスではなく
西郷に命を助けてもらった恩義のある、辺見十郎太あたりは特に
「確信」を持って西郷の命を守らねばと思ったのではないでしょうか。

もちろん、田中本人は「そんなつもりじゃなかった」としてもです。

西郷は辺見と小兵衛から話を聞き
何度も「あの一(いち/大久保利通)が!」と言ったというので
「いくらなんでもそこまでするか?」という気持ちと
「状況から判断すれば完全にありえないとも言い難い」
だったのかもしれません。

もちろん、西郷は私学校生が火薬庫を襲撃することなど聞いておらず
これに関しては辺見らを叱りつけたと言います。
西郷が諭したのを受けて
「ならばみんなで話をしに行こうではないか」という者と
「いよいよこれは政府を倒す時ではないか」
という人が混在している。

それもまた群集のリアルだな、と昨今見てて思います。

歴史は歴史上有名な人が動かして行ったのではなく
教科書にも載らないような人たちが動くことで
波立つように動いて行くのかもしれません。

ーーーー
資料写真は 南方新社「西郷に抗った鹿児島士族」尾曲巧著 より

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