という本を昨年出しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/27/1a6a0d74cacf9b8f2427ac38470eb1f9.jpg)
この主人公、田中直哉について
平成初期に出た雑誌では、(作家さんが薩摩寄りであるというのもあると思いますが)
田中は大洲鉄然という浄土真宗僧侶を扇動、利用したと書かれていたりします。
しかしその後、田中に対する研究は進みました。
供述についても「本当なのか、言わされたのか」は
田中直哉に限らず憶測は飛び交う所ですが…
後に政界の汚職を許せず
メンタルを病んで自殺してしまうほどの人、田中直哉は
つまり「正義漢でひたすら真面目」だったのではと思います。
腹黒く出世を目指すような人ならば、病まないのでは?
あと、本当に懇意にしていたからこそ、大洲は田中直哉が亡くなった後に
詩を残したのでは無いでしょうか。
その七言絶句の最後には
「走卒児童直哉を誦ず」
とあります。
意味は「無邪気な子供達が直哉の歌を歌っている(名前は残った)」
です。
子供はカンがいいので、本気で腹黒い大人なら寄って行きやしないのでは。
さて、その田中直哉らが薩摩入りして
私学校生が暴発する過程なのですが
川路利良はスパイ(ということになる)
…密偵団を送り込んでいました。柏田と田中もこの密偵団に入るんですが。
西南戦争勃発で有名?な電報「ボウズヲシサツセヨ」
これを持っていたのが中原尚雄。
その中原尚雄と親しかったのが田中直哉です。
当時の写真でも並んで写っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/eb/ecf6e78bc4c82b761c8a12df7e12cf58.png)
直哉は手紙の中で、
薩摩のトップ3(西郷、桐野、篠原)を片付けでもしない限りは
止めようにもムリ
という状況を書いております。
SNSではないですが、その一部が切り取られて大きくなる
「不安下での地獄の伝言ゲーム」を考えるなら
例えば、田中が「西郷らを始末でもしない限り」
この部分が切り取られ、拡大されて中原(もしくは誰か)に伝わった。
面白いのが、この密偵団の中に
谷口登太
という、「逆スパイ」がいることです。
谷口は私学校生ではない士族です。
私学校生から頼まれて、中原らの密偵について探っている。
私学校生ではないので西郷側とは思われてない。
その谷口は中原と面識がある。
ということは、田中が言った「西郷らを始末でもしないと」が中原に伝わり
中原の言ったことが谷口に伝わる…
そうすると、「視察」を「刺殺」と読み間違えたというような
うっかりミスではなく
西郷に命を助けてもらった恩義のある、辺見十郎太あたりは特に
「確信」を持って西郷の命を守らねばと思ったのではないでしょうか。
もちろん、田中本人は「そんなつもりじゃなかった」としてもです。
西郷は辺見と小兵衛から話を聞き
何度も「あの一(いち/大久保利通)が!」と言ったというので
「いくらなんでもそこまでするか?」という気持ちと
「状況から判断すれば完全にありえないとも言い難い」
だったのかもしれません。
もちろん、西郷は私学校生が火薬庫を襲撃することなど聞いておらず
これに関しては辺見らを叱りつけたと言います。
西郷が諭したのを受けて
「ならばみんなで話をしに行こうではないか」という者と
「いよいよこれは政府を倒す時ではないか」
という人が混在している。
それもまた群集のリアルだな、と昨今見てて思います。
歴史は歴史上有名な人が動かして行ったのではなく
教科書にも載らないような人たちが動くことで
波立つように動いて行くのかもしれません。
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資料写真は 南方新社「西郷に抗った鹿児島士族」尾曲巧著 より