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躾っていい字書きますね。身が美しい!
前のブログ記事の続きで、教育者の森 信三先生は、子どもの教育の根幹は躾、それは集約すると次の三つでよい、と言っていたようだ。これらは3歳から5歳の時に集中的に躾ける。(正に三つ子の魂、百まで、だ)
(1)朝起きたら、お父さんお母さんに「お早うございます」と言う。
(2)お父さんお母さんに自分の名前を呼ばれたら「はい」と返事をする。
(3)玄関先で脱いだ履物は、きちんと次にすぐ出られるように整えておく。以上
(森 信三先生による原文: しつけの三大原則
一、朝のあいさつをする子に──。
それには先ず親の方からさそい水を出す。
二、「ハイ」とはっきり返事のできる子に──。
それには母親が主人に呼ばれたら必ず「ハイ」と返事をすること。
三、席を立ったら必ずイスを入れ、ハキモノを脱いだら必ずそろえる子に──。)
これらの理由を藤尾秀昭さんは詳しく言われなかったが、聞いた私の解釈、意義付けは次の通り。
これらは、人間の言葉によるコミュニケーション(二項目)と、行動の型(一項目)である。
人間同士、きちんとコミュニケーションが出来るためには、先ず「つながり」をつける挨拶がスタートとして何時でも必要である。当然、昼なら「こんにちは」夜なら「こんばんわ」、久しぶりに会ったのなら「お久しぶりですね、お元気ですか」、授業の始めなら「起立、礼、お早うございます等」となるが、基本の「お早うございます」がきちんと身についていれば自然と他は応用で出てくる。抵抗がない。
次に自分が呼ばれたのなら「はい」と(一回)返事することが相手との「つながり」をつける「合図」である。これは、学校に行けば「○○君(さん)」「はい」「○○ページの××行の意味はどんなものでしょうか」「えーと、それは・・・」と続いていく。
玄関先で履物を揃える行動の型は、私は行為転換の型と言っているものだ。玄関は、正に内外の行為や気分が変わる「行為・気分転換空間」なのである。
で、これがきちんと出来ると、ある行為から次の行為に移るときの作法が自然と分ってくる。朝起きれば布団を上げる、ベッドならきちんと整えておく。食事が終ったら食器は流しに運ぶ。場合によって洗っておく。何か行事が終ったらきちんと机や椅子を整える等々のことである。
これらを小さい時に叩き込む(というと一寸キツイが・・・)というのが躾けの要諦ということだろう。この三つを聞いたときも「うーん」と唸った。
森 信三先生は、西田幾多郎(京大・哲学)門下だが(と書いたが28歳で入学、それ以前に色々の遍歴をしておられる)、カントやヘーゲルやといった学問に愛想をつかせて、実践的教育学を考え抜き実践に供した人のようである。神戸大学教育学部などで教鞭をとったが、教育学者というより教育者というに相応しい。1896-1992で享年96歳であった。
前のブログ記事の続きで、教育者の森 信三先生は、子どもの教育の根幹は躾、それは集約すると次の三つでよい、と言っていたようだ。これらは3歳から5歳の時に集中的に躾ける。(正に三つ子の魂、百まで、だ)
(1)朝起きたら、お父さんお母さんに「お早うございます」と言う。
(2)お父さんお母さんに自分の名前を呼ばれたら「はい」と返事をする。
(3)玄関先で脱いだ履物は、きちんと次にすぐ出られるように整えておく。以上
(森 信三先生による原文: しつけの三大原則
一、朝のあいさつをする子に──。
それには先ず親の方からさそい水を出す。
二、「ハイ」とはっきり返事のできる子に──。
それには母親が主人に呼ばれたら必ず「ハイ」と返事をすること。
三、席を立ったら必ずイスを入れ、ハキモノを脱いだら必ずそろえる子に──。)
これらの理由を藤尾秀昭さんは詳しく言われなかったが、聞いた私の解釈、意義付けは次の通り。
これらは、人間の言葉によるコミュニケーション(二項目)と、行動の型(一項目)である。
人間同士、きちんとコミュニケーションが出来るためには、先ず「つながり」をつける挨拶がスタートとして何時でも必要である。当然、昼なら「こんにちは」夜なら「こんばんわ」、久しぶりに会ったのなら「お久しぶりですね、お元気ですか」、授業の始めなら「起立、礼、お早うございます等」となるが、基本の「お早うございます」がきちんと身についていれば自然と他は応用で出てくる。抵抗がない。
次に自分が呼ばれたのなら「はい」と(一回)返事することが相手との「つながり」をつける「合図」である。これは、学校に行けば「○○君(さん)」「はい」「○○ページの××行の意味はどんなものでしょうか」「えーと、それは・・・」と続いていく。
玄関先で履物を揃える行動の型は、私は行為転換の型と言っているものだ。玄関は、正に内外の行為や気分が変わる「行為・気分転換空間」なのである。
で、これがきちんと出来ると、ある行為から次の行為に移るときの作法が自然と分ってくる。朝起きれば布団を上げる、ベッドならきちんと整えておく。食事が終ったら食器は流しに運ぶ。場合によって洗っておく。何か行事が終ったらきちんと机や椅子を整える等々のことである。
これらを小さい時に叩き込む(というと一寸キツイが・・・)というのが躾けの要諦ということだろう。この三つを聞いたときも「うーん」と唸った。
森 信三先生は、西田幾多郎(京大・哲学)門下だが(と書いたが28歳で入学、それ以前に色々の遍歴をしておられる)、カントやヘーゲルやといった学問に愛想をつかせて、実践的教育学を考え抜き実践に供した人のようである。神戸大学教育学部などで教鞭をとったが、教育学者というより教育者というに相応しい。1896-1992で享年96歳であった。
コメント有難う。挨拶からコミュニケーションが始まるのは分かるのですが、確かにTPO(時期、場所、場合)で使い分けるのは、ある意味、難しいですね。
私のことです。
発達障害という言葉があるが、目だった障害ではないので「ぼんやりした、愚図な子」
小学三年のころ、近所の人に
「こんにちは」というと、うなずいてくれた。
ところが、近くに来た父は聞こえなかったから再び挨拶せよと怒る。
また、その人に恥ずかしさを押し込んで父に聞こえるように「こんにちは」と言った。
シニアの今も、その場に合ったお祝いや慰めやのシックリシタ言葉が出ない・・・
お門違いの発言で、すみません・・・
ちょっと通りがかって読ませていただいたら
何かすごく興味深い内容だったので
コメント残させていただきました!!
確かに「う~ん」と唸るようなお話しですね☆★☆
挨拶はほんと大切ですよね(^^)