
フォト・・・摩周丸
更新は 私が「元気で自遊人」している写真記録の便りです
青函連絡線廃止の原因は北海道新幹線
過去記事2009年 北海道新幹線
北の未来へ一直線
2015年新函館駅(仮称)開業をめざし北海道新幹線工事たけなわ
悲しい青函連絡船・洞爺丸事故が教訓となり
先行して青函トンネルが造られた
その真の目的活用が まもなく実現しようとしている
新幹線 東京や大阪では昭和30年代に走った乗り物だが
北の大地北海道では 夢の乗り物と期待をかけている
北斗市湯ノ沢 渡島当別トンネル 全長 8080m
青函トンネルと新函館駅間には 6つのトンネルが造られる
この中で 渡島当別トンネルは最長
トンネル掘削は進捗率94% 順調に施工が進んでいる
機械が工事の主役 トンネル工事作業員は
30人の少数精鋭 昔なら300人は必要だったという
トンネルを掘り進む技術の進歩はすごい
光線が常に掘る位置を指示してくれる
トンネル入口両方から掘っても 繋がる誤差はほとんどないという
常にコンピュータが光線測量してコントロールするからだという
写真は 空気を洗浄して先端切削現場に送風する装置
掘削した岩石運搬は トラックとベルトコンベアーの方式があるが
ここは 25トン積みダンプトラック5台が主役
トンネルの大きさからして これより大型のダンプは使えないという
バイオトイレ
環境に配慮し バクテリアによる汚水処理
クリーンルーム
切羽で働く作業員のための 空気が洗浄された休憩室
コンクリート打設
打設 6時間 養生16時間 一日10.5mの進捗.
緩衝材 防水シート
厚さ0.8m/mのシートが 水もれを止める
止めた水は 通路の真ん中に造られている排水路で処理する
水が湧き出ている場所には 防水シートが貼られている
新幹線工事は 事故防止に万全を期しながら 進められている
岩盤の状況が良く 湧水も少なく 工事は順調だという
行雲流水
摩周丸・青函連絡船
北海道函館市 青函連絡船記念館 ここには摩周丸が係留されています
今年は17年ぶりのお色直しを 近くの「函館どつく」で3週間前から行ってました
写真はお色直し前の摩周丸 緑の島からパチリ
2020年2月26日 安住の係留地・若松埠頭にタグボートにえい航され 戻りました
この日 青空が広がり 海面も美しい色彩で祝福
摩周丸については 下記パンフレットをご覧下さい
パンフレット 青函連絡船・摩周丸
午前8時30分 函館どつく出発
3隻のダクボートが主役をえい航しました
タクボートが 押したり 引いたり・・・ゆっくり ゆっくり 慎重にえい航
「オレたち もう見ることないな・・・」
「見栄え 良くなったなあ・・・」
「昔 活躍したなあ・・・」
カメラマンが あっちにも こっちにも そっちにも・・・
この日 無風
作業関係者
見学者・カメラマン
写真は「緑の島」から撮りました
波がないため 作業は順調
関係者 待つ 若松埠頭接岸 待つ
函館どつく出発から約45分
ゆっくり ゆっくり
慎重 慎重 慎重
函館どつく出発後 約50分で係留埠頭接岸
右前方 北斗市当別丸山
お色直しした摩周丸の営業公開は3月20日となってます
しかし新型肺炎により不要不急の外出を控えることも考慮し・・・営業確認されてから出かけましょう
以下の写真は 緑の島から撮りました
過去記事2014年 摩周丸・青函連絡船
北海道函館市 青函連絡船記念館「摩周丸」
1965年6月就航から連絡船廃止の1988年まで活躍した
当時は高速自動化船として注目を集めた
終航の原因は 青函トンネル開通
青函連絡船の役目は物資輸送
船の中に線路が敷かれ 貨車ごと物資を運んだ
青函連絡船の強烈な印象は 闇米運搬
重い米を背負って下船する男女の姿は 忘れられない光景
当時 闇米運搬は違法な行動だったのかも知れないが
厳しく糾弾する話は 耳にすることは少なかった
子供の時代のことで私はよくわからないが
この闇米のお陰で命をつないだ方も少ないのでしょう
いろんな場面で
カラフルな別れのテープを見たことが脳裏に焼き付いています
音も耳に焼き付いています
終航が近い頃 マージャン部屋などもできた
営業努力に懸命だったことを思い出します
私が利用した頃の一般席は 船底のような暗いイメージでした
最新式の船は揺れが小さいが
当時は海が荒れると 船酔いする乗客が多かったよう
船長室や航海士室は喫茶「サロン海峡」になっています
函館港・函館山・西部地区観光スポットが一望できます
記念品の陳列や洞爺丸台風の資料が展示されています
操舵室
通信室
連絡船デッキから棒二デパートの看板が見えている
以前は彩華デパート・和光デパートもあり
街は函館一華やかでした
時代は さまざまなものの栄華盛衰を変える
ふるさと
「鵜川五郎 作品紹介29」
沖縄の砦跡