2012・3・12 月曜日
田舎都会通信
函館山 寒川2
函館山の裏手にあった寒川
明治の時代 ここには12戸約60人が生活していたという
富山県から移住し 漁業をしながら自給自足の暮らしをしていたのでしょう
当時の津軽海峡は
どんな船の往来があったのだろう
今は函館港に出入りする船が
頻繁に航行する
訪ねた3月11日は
東日本大震災からちょうど一年目
このも昭和29年の洞爺丸台風で壊滅し
この地を住民が去る原因になったという
高波の怖さを伝える寒川でもある
荒々しい岩場だが
逆に魚や海草類の宝庫となっているのでしょう
青のりやワカメは
岩場に映える
色彩や姿の輝きには
しばし目を奪われる
ちっちゃな貝類の生活は
つつまじく見える
仲間が寄り添い
一日一日を重ねている
明治から昭和29年頃まで繁栄した
ここには敷地跡の石垣や涸れ沢の寒川が息づいている