タツノヒノエ

神仏への道-神社仏閣巡りから、古代の神々との出会い

ニギハヤヒノミコトの実像・・・

2023-07-12 01:21:54 | 日記

アマテル・・・ニギハヤヒノミコト。

何度か前述した通り、アマテル・クニテル (クニクル?) ・タケテル、親子三神で、

天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと) と言う説もあり、

私が見た女神・男神を御神画製作してくれた持田氏は、その説も知ってました。

直感型の私は、知識の方はそれほどでもなく、あくまで、直感が先、後に調べるタイプです。

もともと、古代史ブームの先がけとなったのは、

原田 常治 著「古代日本正史」。

今、手元に本は無いのですが、確か、

※ 古代出雲王朝の王・スサノオノミコトが息子オオトシ (ニギハヤヒノミコト・大物主) を伴ない、九州の邪馬台国を制圧し、女王・ヒミコ (現在の天照大神) を現地妻とし、九州で農業指導をし、オオトシを大和に派遣して日本統一をなし、オオトシはミカシキヤヒメを娶りニギハヤヒと名を改め、後、大物主大神となる。ニギハヤヒノミコトは、その存在をわからなくするため、様々な御神名で各地の神社に祀られていると、各地の神社の伝承から導き出すと言う本だったと記憶しています。

のちに、小椋 一葉 氏が、「消された覇王―伝承が語るスサノオとニギハヤヒ (伝承が語る古代史 1)」でさらに深め、

木村 博昭 氏が、「古代ヤマト王権の縁起と伝承」でさらに深めた感があります。

(全部に賛同するワケではありませんが、よく調べています)

※ 古代日本正史を読んだ数十年前は、私も「出雲」~「九州邪馬台国」~「大和統一」の説が真説なのかと思ってましたが、あれから色々経験して、

スサノオノミコトは元々が九州の人で、「九州」~「出雲」~「ニギハヤヒノミコト大和統一」が正解なのかなと思っています。あくまで「私論」です。

安岡 美典さんの著書も数冊持っていて、中々よく調べておられますが、上の三人が「スパっ」と説明しているのと比べると、資料をもとに説明する箇所が多い特長があります。

また、武光 誠 氏の「古代日本 誕生の謎」「誰が天照大神を女神に変えたのか」も、古代史と神々の誕生 (古代の神道のはじまり) も、わかりやすく説明しています。

もちろん、すべてに賛同するワケではありません。

直感型の私は、「そこは違うのでは?」と思う所もあったりはしますが、それぞれの本を読んでいけば、だいたい、大まかにわかってきます。

ただ、一番読みやすく、わかりやすい原田説と、木村博昭説を参考にすれば・・・

親神「ニギハヤヒノミコト」と御子神「ウマシマチノミコト」は同一神と言うことになりませんかね?

ネットでウマシマチノミコトを調べている時、ウマシマチノミコトの「絵」があり、別の時に調べていたら、その同じ絵が「ニギハヤヒノミコト」の「絵」として出ているのを見ました。どこの資料かはとっくに忘れましたが・・・。

「アマテル」「天照 (あまてる)」「海照 (あまてる)」・・・

個人的には、寺院の方が詳しい私としては、

日本の神々は、「スサノオノミコト」「ニギハヤヒノミコト」「ミカシキヤヒメノミコト」が、常に様々な名の仏・菩薩・明王・天として、主要な寺院 (主に天台宗・真言宗・華厳宗・法相宗) でお祀りされていると思います。

三神が一体となった神仏では、比叡山の、「細身の三面大黒天」・・・中央の白いおヒゲを生やした好々爺がスサノオノミコト (大黒天) 、弁財天がミカシキヤヒメノミコト、毘沙門天がニギハヤヒノミコト。

あと、「蔵王大権現三体」。

バラバラの権現さんでは、蔵王権現 (一体だけの場合) ・・・スサノオノミコト。金毘羅大権現・・・ニギハヤヒノミコト。

清瀧大権現・・・ミカシキヤヒメノミコトと思っています。

追記・・・現代人が全く「霊感」「直感」が無くなり鈍くなった原因は、「明かり」です。江戸時代までは、夜は街灯も無ければ懐中電灯もない。家の明かりは薄暗い灯のみ。夜は闇の世界なので、誰しも鳥獣や昆虫のように「五感が研ぎすまされ」、「第六感」はひとりでに磨かれていました。

しかし現代は、夜は町ならどこでも明るいし、家の中も明るい。「静寂」そのものだった昔の時代と違い、現代は深夜でもテレビ・ラジオがある。

こういう生活空間が変化したところに、人々の中から「第六感 (霊感や直感) 」が埋もれてしまった原因があるのです。第六感が鈍くなったから、人々の神仏への信仰心が無くなっていったのです。

・・・


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五智如来 (五大明王) のモデル②・・・

2023-07-11 23:04:57 | 日記

前回の続きで、

密教の「五智如来 (五大明王) 」のモデルの話です。

サンユッタ・ニカーヤⅡ「ブッダ悪魔との対話」の中の、

「他の見解」から。(現代風にアレンジしています)

サーヴァッティー市がゆかりの場所である。

その時、ある梵天が、「ここ (梵天界) に来たり得る「道の人」またはバラモンは存在しない」と悪い偏見を起こした。

そこでお釈迦さまは、その梵天の心中を察し、ジェータ林の中で姿を消し、その梵天の世界に姿を現した。

そして、お釈迦さまは、その梵天の上方に、空中で、火界定 (かかいじょう) に入って、坐を組んでおられた。

※ 火界定 (かかいじょう) ・・・身体から火炎を放つ禅定。(不動明王はじめ五大明王のように)

そして、お釈迦様の高弟たち、まず、大モッガラーナ尊者が、「人間の眼を超えた清らかな天眼を以て、お釈迦様が、その梵天の上方に、空中で火界定に入って坐を組んでおられるのを見た。

そして、大モッガラーナ尊者も梵天界に姿を現し、お釈迦様の東方で、お釈迦様より低い位置、しかし、空中で梵天よりも上の位置に、火界定に入って坐を組んだ。

そして次々と高弟たちが梵天界に姿を現した。

大カッサパ尊者は、お釈迦様の南方で、お釈迦様より低い位置、しかし、空中で梵天よりも上の位置に、火界定に入って坐を組んだ。

大カッピナ尊者は、お釈迦様の西方で、お釈迦様より低い位置、しかし、空中で梵天よりも上の位置に、火界定に入って坐を組んだ。

アヌルッダ尊者は、お釈迦様の北方で、お釈迦様より低い位置、しかし、空中で梵天よりも上の位置に、火界定に入って坐を組んだ。

そこで、大モッガラーナ尊者は、その梵天に、

「友よ。君は、以前に持っていた見解を今でも持っているのか? ブラフマンの世界における光輝に勝る、かの光輝が君に見えるか?」と語りかけた。

梵天は、

「君よ。私が以前に持っていた見解を、私はもはや持っていない。ブラフマンの世界における光輝に勝るかの光輝が私には見えます。今となっては〈我は常住である。永遠である〉と、私はどうして言い得るでしょうか」と。

そこで、お釈迦さまは、その梵天を驚かせて、その梵天の世界から姿を隠して、ジェータ林のうちに姿を現した。

そこでその梵天は、一人の梵衆天に告げて言った。

「さあ、君。そなたは大モッガラーナのところに赴け。大モッガラーナ尊者に告げよ。

〈君、モッガラーナよ。お釈迦様の弟子の内で、あなたモッガラーナ様、カッサパ、カッピナ、アヌルッダ様のように大神通力があり、大威力のある人々がほかにいるでしょうか〉と。」

「承知しました」と、その梵衆天はその梵天に答えて、大モッガラーナ尊者のところに赴いた。

そして、

「お釈迦様の弟子の内で、あなたモッガラーナ様、カッサパ、カッピナ、アヌルッダ様のように大神通力があり、大威力のある人々がほかにいるでしょうか?」と言った。

そこで大モッガラーナ尊者はその梵衆天に語りかけた。

「三つの明知に通じ、神通力を体得し、他人の心の中のありさまを知るに巧みであり、諸々の煩悩を滅ぼした敬わるべき人々が、ブッダ (お釈迦様) のうちに多く存在する」

そこで梵衆天は、大モッガラーナ尊者の語られたことに歓喜して、その大梵天のもとに赴いた。

そして、

「君よ。大モッガラーナ尊者は次のように言われました。

〈三つの明知に通じ、神通力を体得し、他人の心の中のありさまを知るに巧みであり、諸々の煩悩を滅ぼした敬わるべき人々が、ブッダ (お釈迦様) のうちに多く存在する〉と」。

かの梵衆天はこのように説いた。かの梵天は、心に嬉しくなり、その梵衆天の説いたことを歓喜した。

五智如来が変じて五大明王。

密教がインドで成立・体系づけられる以前には、五智如来とか、五大明王と言う思想は無かったはずです。

五智如来、五大明王には、それぞれ、デェーヴァやアスラの神々がモデルとなっていますが、

そのまた源流のモデルの話が、上に記載した、「サンユッタ・ニカーヤⅡ ブッダ悪魔との対話」のうち、「他の見解」ではないかと推察しています。

「自分より優れた存在はいない」と思っていた、最高神「梵天 (の1人) 」。

その心中を察したお釈迦さまが、娑婆世界から肉身のまま、梵天界にテレポートしてきて、「全身から火炎を発した火界定の禅定に入り」、梵天の真上に空中で坐し、4人の高弟たちも、次々と現れ、火界定に入り、梵天より上、お釈迦様より下の位置、空中で坐した。(お釈迦様を中心に東西南北と)

五智如来が変じた五大明王も、全身から火炎を発した姿。

だから、五智如来 (五大明王) のモデルとなった話ではないかと推察するのです。

また、最高神「シヴァ」が降三世明王に降伏 (ごうぶく) される仏教神話のモデルでもあると言えるのではないでしょうか?

五智如来 (五大明王) のモデル終わります。

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五智如来 (五大明王) のモデル・・・

2023-07-11 23:00:11 | 日記

密教の、五智如来 (五大明王) 。

中央、大日如来 (宇宙の理法そのもの。法界体性智=ほっかいたいしょうち) 。教令輪身 (きょうりょうりんじん) は、不動明王。

人ではなく、あくまで「観念の仏」。他の宗教との関連性では、

ウィキより・・・

マハーバーラタには、太陽神ヴィローチャナ・アスラ王ヴィローチャナを同一視している箇所が32例ある。・・・宮坂宥勝高野山大学)は、『マハーバーラタ』における第二の場合、すなわちVirocana、VairocanaとAsuraとの結合については仏教諸経典についてもこれを認めることが出来る。例えば『雑阿含経』には「鞞盧闍那阿修羅子婆稚」とある。また、初期仏典の累層的発展形態を示す密典の一つの『仏母大孔雀明王経』には「微盧遮那薬叉」とあり、同経梵本ではVirocanaの異名をYakṣa夜叉)としている。『大海経』(Mahāsamamayasutta 大三摩惹経)にはVerocana(=skt. vairocana)がAsuraの別名Rāhuとして、森の法会(Dhammasamaya)において釈尊を讃歎するやちおろずの神々のひとりとして登場する。— 宮坂宥勝、 「アスラからビルシャナ仏へ」 『密教文化』1960(47)、1960年、p.16。

中村元は、「ヴェーローチャナ -Verocana.本文の中ではこのように表記されている。=skt.:Vairocana.もとは太陽を意味する語であった。この語が大乗仏典に取り入れられると、毘盧遮那、大日如来となる。これに詳しい研究としては『VirocanaとVairocana ―研究序説』(『渡辺照宏仏教学論集』筑摩書房、一九八二年、四〇五-四二六ページ)。」とある

もしもAhura Mazda→Asuraとすれば、中古においてAsuraの代表者にVirocanaがあり、とくに俗語系のパーリ語で綴られた原始仏典『サンユッタ・ニカーヤ』の中にVerocano asurindoの語が見出されることは、いっそう注意してよいだろう。しかし、『アタルヴァ・ヴェーダ聖典』にはまだVirocanaの名が出てこない。したがってVirocanaの起源についてこれ以上立入って追及することは不可能であるというほかはない。— 宮坂宥勝、 「アスラからビルシャナ仏へ」 『密教文化』1960(47)、1960年、p.19。

渡辺照宏は、もしAsuraの首領がVairocana(またはVirocana)とよばれ,これがBuddha Vairocanaと結びつくものとすれば,VedaにおけるAsuraの首領であるVaruṇaとも結びつき,したがってAwestaAhura Mazdaとも結びつくわけである。目下の段階においてこれは私の仮説であり,否定することもできないと同時に断定する資料もまだ十分ではない— 渡辺照宏、 「VirocanaとVairocana -研究序説―」 『渡辺照宏仏教学論集』

とある。

要するに、その名がアスラの神がモデルであれ、密教に取り込まれた時点で、「人ではなく、観法の対象」。

そして、大日如来を中心に東西南北にそれぞれ、

東、阿閦如来 (あしゅくにょらい) ・・・大円鏡智 (だいえんきょうち) の智慧そのものを表す。教令輪身は、降三世明王。

西、観自在王如来 (かんじざいおうにょらい) =阿弥陀如来。妙観察智 (みょうかんさっち) の智慧そのものを表す。過去記述で確か阿弥陀如来についても書いているハズ。教令輪身は、大威徳明王。

南、宝生如来 (ほうしょうにょらい) 。 平等性智 (びょうどうしょうち) の智慧そのものを表す。教令輪身は、軍荼利明王。

北、不空成就如来 (ふくうじょうじゅにょらい) 。成所作智 (じょうしょさち) の智慧そのものを表す。教令輪身は、金剛夜叉明王。

大日如来を中心に、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来すべて「実在の人では無い」。あくまで「観法」の対象。または、「智慧の象徴」。

密教の最高仏、大日如来のモデルが、アスラ (阿修羅) の太陽神「ヴェーローチャナ」であると言う説が有力なようであるが、

原始仏典にも、

この五智如来 (ごちにょらい) のモデルとなったのでは?と思える話が載っているので次回で説明します。

これ書いている時、真後ろでスズメが「ちゅんちゅんちゅん」とずっと鳴き、庭の木でモズがずっと鳴き、離れた所でヒヨドリのヒヨが鳴いていました。

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スズメの神通力・・・

2023-07-11 20:55:24 | 神社仏閣 神仏 御神霊 ウカノミタマ女神 ニギハヤヒノミコト 

ブログ完結前、残りのストック記事です。

鳥獣や昆虫に好かれる私は、日々、彼らの驚くべき能力を目にします。

私が家の中から外を眺めていると、よく様々な鳥獣や昆虫が現れます。

「トンビ君いるかな~?」と思い、西側の窓から高空を見ると、大きな鳥が高~い位置を真っすぐ「つーーーーーーーーっ」と飛んでいます。羽ばたきは一切なし。

見るとミサゴが飛んでいました。

また別の日、「トンビ君いるかな~?」と西側の窓から外を見ると、イヌワシの若鳥が低空を「わっしわっし」と羽ばたきながら南へ向かっています。

朝、南側のカーテンを開けたら、スズメたちが「ぽろぽろぽろ」と、うちのベランダから降りてきます。ヒヨドリのヒヨちゃんも「ひー! ひー!」と鳴きながら現れます。

一番驚くのはスズメ軍団。カーテン閉めてる時でも、私の目が庭側に向いた瞬間、ベランダから「ぽと」「ぽと」「ぽと」と降りてきて「スズメ影」を見せてくれます。

私の目が隣の部屋に向くと、今度はそっち側に「すい」「すい」「すい」と移動して「スズメ影」を見せてくれます。

カーテン閉めてるから私の姿は彼らには見えないハズなのに、彼らには私の気配がわかるようです。

また、窓開けたら、メジロのメロが鳴いたり、トイレに入った瞬間、傍でヒヨドリのヒヨが「ひー! ひー!」と鳴く。

窓もドアもカーテンも閉め切っていても、彼らにはわかるみたいです。

また、夏の暑い日には、庭の水道をホースで「ちょろ出し」にしています。

ここ数年、猛暑でへばって亡くなってしまう昆虫たちを気遣ってのことです。

水たまりができると、様々な生物が、こっちの気持ちを理解してか、気を使ってやってきます。

「誰も水飲みに来ないな」と見ていると、すぐ「小蜂」と「ミニ蜂」(ともにアシナガバチの一種) たちがたくさんやってきて、水飲んでます。(飲んだフリして気を使ってくれている?) アシナガバチはよく寄ってきてくれます。

「羽が濡れて飛べなくなったらいけないから、水たまりの端で飲めよ」と言うと、ホントに端で飲んでいます。

スズメも気を使って水飲みに来ます。ほかには、アリとクモ。一度、オオムカデが蛇口にいました。

猛暑は働き者のアシナガバチたちには大敵で、ここ数年は、過労死寸前のアシナガバチをたくさん保護したり、看取ってきました。うちの家の玄関前や傍で倒れていることが多いので、息がある子は保護して蜂蜜をなめさせてり、半切りミカンをたべさせたり。最後亡くなるときは、体をティッシュの上で横にして亡くなる子が多いです。声かけながら羽をさすっていると、気持ちよさそうにしています。(私はアシナガバチと仲が良いですが、一応、毒針持ってますので、変に刺激すると刺されます。オス蜂は毒針なし。甘えん坊の働き蜂や、おっとりした女王蜂と違い、オス蜂は、ふわふわちょこまか動いて、別の意味でかわいいです。肉食と思われがちですが、肉食なのは幼虫の時だけ。成虫になると蜂蜜や甘い果物が好物になります)

見つけた時、すでに亡くなっていた子は、簡易作法で供養します。(諸観音の真言や地蔵菩薩真言、光明真言など唱えて回向。菩提寺で、鳥獣や昆虫の供養には、地蔵菩薩真言や観音さんの真言が良いと習ったので)

以心伝心・・・彼ら鳥獣や昆虫には、こちらの思いが素直に伝わるみたいです。

さっきも、スズメが真後ろで「今日はもう帰るよ~」と言う意味の「ちゅみちゅみちゅみ」と言った後帰っていきました。(6月27日に下書きした記事です)

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南伝仏教と大乗仏教・・・

2023-07-11 18:51:31 | 日記

ブログ完結に向けて、ストックしていた記事を掲載させていきます。

仏教は「真理」そのもので、宗教ではありません。

そもそも、宗派や流派などは存在しないハズのものです。

が、人類の業なのか、年月が経てば経つほど、源流からは遠ざかる。

上座部仏教 (南伝仏教) は、ネットで調べたりテレビ番組で見たりしたら、今でも250?もの戒律を守って出家主義を貫いているとか。たまに、タイとかで日本人出家僧もいたりするみたいです。

こちらの方が、お釈迦様の仏教に近いとか。タイなどでも、破戒僧は、政府にバレたら、還俗させられるのだとか。

ただ、タイでは今、出家僧が肥満と虫歯に悩まさせていると、テレビか何かで見ました。在家信者は、出家僧の托鉢で、食事を提供して功徳を積むのですが、最近のタイ人信者は、「自分の好物」・・・「甘い2Lジュース」や、「こってり系の食事」を施して、そのためにタイ人出家僧は、虫歯と肥満になっているとか。

「出された施しの飲食は残してはならない」と言うのは日本の禅僧と同じで、甘かろうが、こってりだろうが、甘い御菓子だろうが、飲んで食べなければならないため、タイ人僧侶が虫歯と肥満に悩まされているそうです。

テレビでほかに見たのは、カンボジア僧も、ちょっと前までは、「お金」の代わりに「お米」で受け取っていたのが、最近は、時代の流れからか、「お金」を「お米」代わりに受け取るようになったらしいです。タイやミャンマーも似たような感じかも知れませんが、カンボジアの寺院に信者が、亡き人の供養に訪れた時、「お米」を渡してお願いすると、結跏趺坐したままの若い僧侶 (南伝は、お釈迦様と同じ、半分肩を出したオレンジ色の袈裟) たちが、パーリ語かカンボジア語か判りませんが、法界定印のまま、お経を唱えていました。 

私たちの大乗仏教は、デーヴァやアスラの神々を取り入れて諸仏諸尊を形成していった歴史があり、仏教と言うより、在家仏教・・・信仰としての、仏教信仰と言う方が当たっている気がします。

南伝のような、素朴な仏教と違い、特に密教系や禅宗系、それより古い華厳・法相・北法相などの寺院は、「見て拝む」イメージが強いものです。

それは、お釈迦さまご在世の時代でも、様々な階級の神々が、お釈迦さまのもとを訪ねてきて会話し、お釈迦さまに帰依していると言う伝承からも、

大乗仏教の形式も、ある意味正しいと言えると思います。

お坊さんについては、南伝は出家僧。大乗仏教も、中国、韓国の僧侶は出家僧だそうです。中国僧も韓国僧も、テレビとかネットで見たら、男僧か尼僧か、一見しただけでは判らない、細くて色白の小柄の男僧が多い印象です。

禅宗の和尚に教わったのですが、中国の寺院も、共産党に逆らわなければ、寺も僧侶も一応、庇護されているとか。

ただ、観光化していっている実情もあると思います。

・・・今日は、窓から外を見ていると、東側から、トンビの「若」か、もしかすると、ハイタカが切れ込むような飛び方で現れ、西側に着地しました。

すぐ傍の電柱に、トンビの「ニュー」か「殿」のどちらかが留まっていて、その猛禽類を、「じーーーーーーーーーーーーーっ」と、ずっと見ていました。

ここまで気にすると言うことは、ハイタカだったのかも知れません。

体は私の家の方に向いたまま、顔は右に向いたまま、その猛禽類が着地した側を見ていました。傍の電線には、小鳥が一緒に留まっていました。

私が、そのニューか殿かのトンビを見ていると、小蜂や蜂たち、スズメたち、ツバメたちもたくさんやってきました。

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