前述してますが、あらためて。
神社 (何度も書いてますが、私が神社と言うのは、神々・・・古代の神々をお祀りする神社です。靖国や護国、英霊系などの慰霊社は除きます。私見です) や、
寺院 (私の場合真言宗や天台宗、禅宗しか知りません) での功徳の積み方。
神社でも寺院でも、「本殿」「本堂」「〇〇堂」の修復・屋根用の銅板勧進や、檜皮勧進などしていたり、お伊勢さんや出雲大社その他大きな神宮・神社では「式年遷宮の御寄附」を募っていたりするので、
そういう「寄付」をし続けることが「神徳」「仏徳」を積むことになります。
祈願目的でするのではなく、祈願度外視してするのが、より功徳になります。
また、何も寄付を募っていなくても、「無祈願」でお賽銭をして礼拝するのも功徳になります。
お金がなければ、境内に落ちているゴミを拾うのも功徳になります。
「良い功徳は来世のより所になる」と仰ったのは御釈迦さまです。
日本の国は、古代から自然崇拝と言う原始神道に始まり、やがて弥生人の「首長霊信仰」と縄文人の「円の思想」が融合して神道になり、(私論です)
仏教と融合して、「神仏習合」と言う、世界でも稀有な素晴らしい思想が生まれました。
明治政府の蛮行により、神仏習合は破壊されたかのように見えましたが、
今でも神仏は習合されたままであると思います。
「神仏は常に下界の人間を見ておられる」
無垢な功徳は、目には見えないし、自分では功徳を感じることもできませんが、
当たり前のように積めるようになれば、
それは、お釈迦様が仰られたように、
「功徳は来世における、その人の拠り所」となるでしょう。
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