日々是好日

無能年金ジジイの戯言です、老い先短くなってからキャンプ擬きを始めました。

神田明神

2009-06-27 | おしごと関係です(単身赴任中の事です)
出張清め祓い式。
事務所が移転したので(神棚もお引っ越し)近くの神田明神に出張をお願いしました。以前は品川神社を祭ってありましたが転居先地近くで神田明神です。お札は返してありましたので、新事務所のお清めとここに神様入ってくださいという神事です。見てると①これからセレモニーをしますとの神様への報告②ここに○○会社と○○社長以下社員が引っ越してきましたよいう報告③お酒・お米・料理等お供えして、皆うちそろいお参り致しますとの報告。③神主お参り④参列者玉串お供え⑤お神酒による乾杯などが概要です。神主を送迎する間に雑談で神主と宮司に違い、神主に職階(正式には宮司以下神職と呼ぶそうです、巫女さんも神職ですが資格がいらないそうです。男性の神職は資格が必要で職階により出来る仕事が違うそうです)所で神田明神の紹介。(パンフより)正式名称・神田神社。東京の中心―神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、築地魚市場―、108町会の総氏神様です。「明神さま」の名で親しまれております。社伝によると、当社は天平2年(730)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。
その後、天慶の乱で活躍された平将門公を葬った墳墓(将門塚)周辺で天変地異が頻発し、それが将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして、さらに延慶2年(1309)当社に奉祀いたしました。戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬されました。
慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、当社では徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行ないました。すると、9月15日、神田祭の日に見事に勝利し天下統一を果たされました。これ以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命ぜられました。以下省略
なかなか名門の神様だそうです。皇居(昔の江戸城)を守る神様グループの一員です。京都御所を守る神様グループから見れば格が違うそうですが・・・。でも神様ですから宜しくお願いします。
江戸時代の神田明神
現在の神田明神

丸ーいつり革

2009-06-27 | おでかけ・探索
サークル状になっているつり革の電車が九州であります。各駅停車用の車両ですが、楽しそう。可愛い女の子が前にいたらチョット恥ずかしい感じですが、怖いオジサンだったら嫌ですね。居酒屋で飲んで帰るときは話の延長ができますが、隣にいる人は喧しいでしょうね。女学生にぐるりと囲まれたらどうしましょう?な~んて想像していたら門司港駅につきました。とてもとても暑い日でした。
車内はこんな感じです。

最近

2009-06-22 | 独り事
耳に電話を付けてる若い人が目につきます。USB位の電話を耳に直付けです。人と会話してる途中に掛かってきた電話と突然話し始めるので相手もびっくりです。一秒でも惜しむ忙しいんですね。そんなに重要な事って1日のうちない我々には理解は出来んわな~。せめて商談中位外しては駄目なの?耳にアンテナ付けてピカピカサセテル人はサイボーグ人間みたいのは単なる年寄りの偏見?

久しぶりに新潟

2009-06-18 | おでかけ・探索
新潟に行ってきました、日帰りですが。新潟駅は新しい駅ビルがつぎつぎ出来るなかで昔風の駅の風情が残っています。勿論もっと昔の駅舎、木造駅舎もありますが木造から中規模風に立て替えて駅ビルがこんな感じです。駅の中には中途半端な土産店・飲食店・駅機能・JR支社建物が一つの箱に入っています。駅には広告もぶら下がっています。今は大きなデパートや大規模店舗・ホテルなどで集客を図り運賃収入プラスアルファを考えた構造になっています。ところで新潟はお米・お魚・お酒が美味しい所ですが、大きなお刺身と帰りの電車でお握りを食べました。お酒は体調が回復するまでお預け・・・・ビールで我慢です。
明後日は東北。

亀山まで

2009-06-06 | おでかけ・探索
5時間かかりました。正確には家から品川ー名古屋ー亀山ー佐那具というコースなのですが、名古屋から亀山まで1時間、亀山ー佐那具まで40分なのですが亀山駅で45分待ちました(写真)。
一時間に一本しかないんです亀山発加茂行きが・・・・。勿論単線です、線路に鹿が飛び出す線路です。一両のマンマン電車で佐那具駅にタクシーが一台いたので助かりました。運転手は完全に寝ていましたのでドアをたたき起こし目的地まで。
昔忍者が修行した土地というのがよく分かります。是非一度行ってみてください。