前主将、鈴木駿介くんから。
~~あの時、言えなかったこと~~
【ケガに苦しみながらも陰で努力するエース】
石塚洸志
・白鷗足利軟式野球部卒
・左投げ左打ち
・昨年までの背番号『1』
・硬式を途中まで続け、その後軟式へ移る。
昨年春。大会直前で股関節と腰を痛めてしまった彼。
思うようなピッチングを出来ていなかったのである。
ただ、その状況下、練習試合で130km後半を出していたと言われている。
昨年2冠を制した作新学院でも十分通用するピッチングを彼は持っていた。
僕自身、軽々そうに投げる姿を、昨年春と夏に見ている記憶があります。
120後半~130前半だった気がしますが、それでもいいピッチングを文星、作新戦で披露してました。
5回を石塚くん、残りを湯澤くんに託し、打倒作新学院を目指していた。
その彼が、頑張れた裏には、陰での努力。これがあるそうです。
誰にも言わなかったこと。
白鷗足利軟式野球部。
彼らのグラウンドは、専用グラウンドではなく、
近くのグラウンドを借りて行っている。
時間も平日2~3時間程度に限られてきます。
夜遅くまで練習を続けている作新学院との練習量は全然違ってくる。
にもかかわらず、硬式出身のプライドが持っていた練習量。
これが、白鷗足利を支えたエースのプライドだったと思います。
ケガを抱えながらの練習は誰よりも辛かった。
でも、エースの責任というプライド。硬式出身のプライド。
彼を頑張らせたのはここではないかと思います。
グラウンドでの練習を終え、帰宅時間。
終電近くまで彼は居残って練習を続けていた。
ライバルは練習を続けている。
自分たちはグラウンドでの練習量は限られている。
ケガもあり、疲労度は限界に近い状態ではあった。
それでも、昨年夏。
初戦の佐野日大中等戦。四球を連発していた湯澤くんに代わり、
エースがマウンドに立つ。
そこでの延長サヨナラ勝ち。
2戦目の作新学院。負けはしたものの、完投をしている。
そんな彼は、樋口先生に一番叱られていたと聞きます。
プライド、そして責任感。
それが、彼をマウンドに立たせたものだと思います。
~~あの時、言えなかったこと~~
【ケガに苦しみながらも陰で努力するエース】
石塚洸志
・白鷗足利軟式野球部卒
・左投げ左打ち
・昨年までの背番号『1』
・硬式を途中まで続け、その後軟式へ移る。
昨年春。大会直前で股関節と腰を痛めてしまった彼。
思うようなピッチングを出来ていなかったのである。
ただ、その状況下、練習試合で130km後半を出していたと言われている。
昨年2冠を制した作新学院でも十分通用するピッチングを彼は持っていた。
僕自身、軽々そうに投げる姿を、昨年春と夏に見ている記憶があります。
120後半~130前半だった気がしますが、それでもいいピッチングを文星、作新戦で披露してました。
5回を石塚くん、残りを湯澤くんに託し、打倒作新学院を目指していた。
その彼が、頑張れた裏には、陰での努力。これがあるそうです。
誰にも言わなかったこと。
白鷗足利軟式野球部。
彼らのグラウンドは、専用グラウンドではなく、
近くのグラウンドを借りて行っている。
時間も平日2~3時間程度に限られてきます。
夜遅くまで練習を続けている作新学院との練習量は全然違ってくる。
にもかかわらず、硬式出身のプライドが持っていた練習量。
これが、白鷗足利を支えたエースのプライドだったと思います。
ケガを抱えながらの練習は誰よりも辛かった。
でも、エースの責任というプライド。硬式出身のプライド。
彼を頑張らせたのはここではないかと思います。
グラウンドでの練習を終え、帰宅時間。
終電近くまで彼は居残って練習を続けていた。
ライバルは練習を続けている。
自分たちはグラウンドでの練習量は限られている。
ケガもあり、疲労度は限界に近い状態ではあった。
それでも、昨年夏。
初戦の佐野日大中等戦。四球を連発していた湯澤くんに代わり、
エースがマウンドに立つ。
そこでの延長サヨナラ勝ち。
2戦目の作新学院。負けはしたものの、完投をしている。
そんな彼は、樋口先生に一番叱られていたと聞きます。
プライド、そして責任感。
それが、彼をマウンドに立たせたものだと思います。
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