先日、ある取材があり、その場所に同行した。
その取材の主は、
とても素敵な雰囲気のある人なのだけど、
何となく、どこか、うまく行き交えない、
気持ちの良くないかたまり、みたいなものを感じるひとだった。
それは、何なんだろう、何なんだろう、
どうしてなんだろうと思っていたけど、先日、よくわかることがあった。
誰かが間違っているとか、
何が、どうとか、ではない。
仕事をしていると、
どっちが正しくて、どっちが間違っている、というような、
それを決めなくてはいけないような場面にあうことがある。
けど、実際に、深呼吸して、
こっちの顔とあっちの顔をながめてみると、
どっちが正しくて、どっちが間違っている、なんてなくて、
どっちが<誰の>立場にたっているのか、
こっちが<誰の>ことを考えているのか、ということだったりする。
ものは、考えようなのだと思う。
フリーで仕事をしていると、
その場その場が大事なつながりの場になったりするから、
必死に主張しなければならないのはわかるけど、
誰かが悲しい思いをしたり、
誰かの顔がゆがむような場所を作るひとの思いは、
報われない、と、私は思っている。
例え、誰かが悪者になる場面であっても、
その人を悪者にしてしまっていいのか、
自分のひとことの力の大きさを、知って、
笑顔を、怒り顔に変えないことにできる人が、
思いを成し遂げるひとだと、思う。
再起不能にしてしまわないことは、
どんな場面でも、人の力を大事に思える能力は、大切なのだ。
人を信じることは、大事なことなのだ。
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