お疲れ様です、社長です
5月8日(日)、社長を含む独身の有志5名(今だけ独身気分も含む)で、気仙沼にある小泉浜ボランティアセンター(以後『はまセン』と呼ぶ)に日帰りでボランティア活動にいってきました
はまセンは、気仙沼市のよくテレビに出るメインのボランティアセンターとは違い、集会所(兼避難所)を改造した手作りの小さなボランティアセンターで、とても景観の綺麗な海をもつ街でした

場所的には、気仙沼市内の最南端、南三陸町のすぐ上で、もっとも津波の被害を受けた地域です
きっかけは、インターネットを見ていたら、ボランティアが不足しているという投稿を発見したことでした
一度いわき以外の地域に行って何かを感じたいというのと、すこしでも力になりたいというのが強かったため、
チームとしてではなく社長のワガママ(気仙沼行くぞ
)に賛同してくれたメンバーで今回は行きました。
GW中は、ボランティアの受付を断っているとこがほとんどでしたが、そこは400人、600人と連休中も毎日のようにボランティアが来ても、まだまだ人手が足りないということでした
いまだに電気も水道も復旧しておらず、道も陥没していたりと重機もあまり入れないのが現状でした。
津波の高さは、10~20メートル
山の上の家にまで津波は到達し、内陸部は確認できた範囲で約二キロ近く水やガレキが登ったあとがありました。
街と思われる地域は、二階建ての建て物(学校か役場だと思われる)一つ残し、
あとはすべて流されてました。言葉を失う光景でした



ガレキの処理を希望し、午前と午後民宿(だったと思われる)の片付けをさせてもらい、
早朝4時出発の疲れと、急な雨や突風に苦しませられる中、それぞれが頑張ってきました

お昼は、地元の方々の手作りのおにぎりと、袋に入ったお湯で温める焼きそば。
夕飯は、秋田県大仙市の方々の焼肉&シーフード焼と、同じく秋田県横手の方々の横手焼きそば&豚汁をいただきました。
避難されてる方、近所にお住まいの方、そしてボランティアに来てる方、
スタッフすべてに炊き出しをしていて、とても素晴らしい事だと感じました
我々もおいしくいただきました

社長個人の感想ですが、何度もいわきのいろいろな地域でボランティア活動をさせてもらいましたが、
今回気仙沼に行き、改めて今回の地震、津波の凄さを感じさせられました。
それと同時に、人間の絆と熱い気持ちも再度感じることができました
はまセンを立ち上げた方は、岐阜の議員の川上さんという方でした。地元の方ではありません。
ボランティアに来てる方も、我々は日帰りでしたが、
長い方は、畑(民宿、旅館などはすべて流されたため)にテントをはって約二週間近くボランティア活動に汗を流していると聞きました。電気も水もない中
8日(日)ボランティアに参加された方でも、これから富山まで帰るんで朝3時か4時に着けばと言っていた方も。
とても心に響くものがありました。
自然の恐らしさは計り知れませんが、人間の絆もとてつもないパワーになります
まさに『one for all all for one』
ベタかもしれませんが、ベタでいいじゃないですか
前にも書きましたが、
『ピンチのあとには、チャンスあり!!』
鋭いタックルは、流れを変えることができます
ピンチの時こそ、前に出てしっかりと受け止めようではありませんか
またまたラグビーネタで申し訳ありません
今回力になれたかはわかりませんが、また小泉浜が震災前のような綺麗な海に戻ることを心から願っています。
疲れ以上に考えさせられることがいっぱいあった気仙沼遠征でした。
最後に、社長のワガママに付き合ってくれた、
安藤、杉岡、阿部、舞子ちゃんには感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました

次回は、モロティマ号で気仙沼にむかう
という案もありますが、今回感じたことを活かし、15日の地元いわきでしっかり活動させてもらいます

では

5月8日(日)、社長を含む独身の有志5名(今だけ独身気分も含む)で、気仙沼にある小泉浜ボランティアセンター(以後『はまセン』と呼ぶ)に日帰りでボランティア活動にいってきました


はまセンは、気仙沼市のよくテレビに出るメインのボランティアセンターとは違い、集会所(兼避難所)を改造した手作りの小さなボランティアセンターで、とても景観の綺麗な海をもつ街でした


場所的には、気仙沼市内の最南端、南三陸町のすぐ上で、もっとも津波の被害を受けた地域です

きっかけは、インターネットを見ていたら、ボランティアが不足しているという投稿を発見したことでした

一度いわき以外の地域に行って何かを感じたいというのと、すこしでも力になりたいというのが強かったため、
チームとしてではなく社長のワガママ(気仙沼行くぞ

GW中は、ボランティアの受付を断っているとこがほとんどでしたが、そこは400人、600人と連休中も毎日のようにボランティアが来ても、まだまだ人手が足りないということでした

いまだに電気も水道も復旧しておらず、道も陥没していたりと重機もあまり入れないのが現状でした。
津波の高さは、10~20メートル

山の上の家にまで津波は到達し、内陸部は確認できた範囲で約二キロ近く水やガレキが登ったあとがありました。
街と思われる地域は、二階建ての建て物(学校か役場だと思われる)一つ残し、
あとはすべて流されてました。言葉を失う光景でした




ガレキの処理を希望し、午前と午後民宿(だったと思われる)の片付けをさせてもらい、
早朝4時出発の疲れと、急な雨や突風に苦しませられる中、それぞれが頑張ってきました


お昼は、地元の方々の手作りのおにぎりと、袋に入ったお湯で温める焼きそば。
夕飯は、秋田県大仙市の方々の焼肉&シーフード焼と、同じく秋田県横手の方々の横手焼きそば&豚汁をいただきました。
避難されてる方、近所にお住まいの方、そしてボランティアに来てる方、
スタッフすべてに炊き出しをしていて、とても素晴らしい事だと感じました

我々もおいしくいただきました


社長個人の感想ですが、何度もいわきのいろいろな地域でボランティア活動をさせてもらいましたが、
今回気仙沼に行き、改めて今回の地震、津波の凄さを感じさせられました。
それと同時に、人間の絆と熱い気持ちも再度感じることができました

はまセンを立ち上げた方は、岐阜の議員の川上さんという方でした。地元の方ではありません。
ボランティアに来てる方も、我々は日帰りでしたが、
長い方は、畑(民宿、旅館などはすべて流されたため)にテントをはって約二週間近くボランティア活動に汗を流していると聞きました。電気も水もない中

8日(日)ボランティアに参加された方でも、これから富山まで帰るんで朝3時か4時に着けばと言っていた方も。
とても心に響くものがありました。
自然の恐らしさは計り知れませんが、人間の絆もとてつもないパワーになります

まさに『one for all all for one』
ベタかもしれませんが、ベタでいいじゃないですか

前にも書きましたが、
『ピンチのあとには、チャンスあり!!』
鋭いタックルは、流れを変えることができます

ピンチの時こそ、前に出てしっかりと受け止めようではありませんか

またまたラグビーネタで申し訳ありません

今回力になれたかはわかりませんが、また小泉浜が震災前のような綺麗な海に戻ることを心から願っています。
疲れ以上に考えさせられることがいっぱいあった気仙沼遠征でした。
最後に、社長のワガママに付き合ってくれた、
安藤、杉岡、阿部、舞子ちゃんには感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました


次回は、モロティマ号で気仙沼にむかう

という案もありますが、今回感じたことを活かし、15日の地元いわきでしっかり活動させてもらいます


では
