6月のテレホン法話「辯天参り」(6/1~/15)

2015-05-19 12:00:44 | 法話
「辯天参り」
 薬師辯天(やくしべんてん)には銭(ぜに)あげて拝め、と謳(うた)われるように、辯天(べんてん)様(さま)は昔から金運商売の神様である。やんごとなき御利益(ごりやく)はあるのだが、辯天参りは男女(なんにょ)別れて御参りするのが、本義なのである。というのは、女(おんな)の神様である辯天様がやきもちを焼くから、斯(か)くの如(ごと)くの習(なら)わしと、決まっていたらしい。
昔は、これを逆手(さかて)にとって、縁切りの願(がん)掛(か)けをする強者(つわもの)もいたというが、平成の御世(みよ)には、こんな言い伝えなんか気にする御二人(おふたり)さんはいないと思ったら、左(さ)にあらず。御参りを済ませた後に縁起を読んで心配する方が、結構(けっこう)多いので参ってしまう。斯(か)くして、仲良き男女は別々に御参りするように、記(しる)した案内板を5月12日に御神橋(ごしんきょう)の手前に立てることにした。
じつは、平成25年の暮れに、蝦蟆ヶ池辯天堂(がまがいけべんてんどう)が後修復になり、面目(めんもく)を一新(いっしん)した。これより、御奉納(ごほうのう)も増えているが、縁切りの願掛けに来る女性も、以前に増して多いのである。
此方(こなた)蝦蟇ヶ池(がまがいけ)の辯天様は縁切りであるのに対し、方(がた)や達(たっ)谷窟(こくいわや)の毘沙門様は縁結びの神様であるから、悩ましいのである。ところで、昨今の椿事(ちんじ)といえば、辯天堂の建つ中島に掛かる舫(むやい)橋(ばし)を、蛇が渡っていく。毘沙門堂の階段を昇っていた蛇が参拝客に出くわし、大声に驚いて転げ落ちるのを、職員が何度も目撃している。辯天様の御使いである蛇が、毘沙門様に何かを報告しに行ったに違いない。
辯天様が、縁切りが増えておりますので、縁結びを増やして下さい、と毘沙門様に伝えているのではないかなどと、勝手に忖度(そんたく)してみるが、とまれ、足(あし)繁(しげ)く通う蛇の御使いの報告を聞いて、毘沙門様と辯天様は、利益(りやく)を施すに違いないと、信じているのである。

四月のテレホン法話(4/1~/15)「木挽(こびき)」

2015-04-01 09:34:53 | 法話
四月のテレホン法話(4/1~/15)


「木挽(こびき)」
 
木挽(こびき)とは人力(じんりき)で、大(お)鋸(が)という大きな縦(たて)挽(び)きの鋸(のこ)で丸太(まるた)を挽(ひ)く仕事と、それを行う職人(しょくにん)達(たち)を称(しょう)していう。「木挽(こびき)の一升飯」という諺(ことわざ)もあるから、ものすごい重労働だったらしい。勿論(もちろん)、平成の御代(みよ)には、人力(じんりき)に頼ることなく、製材所を舞台に、モーター駆動の帯(おび)鋸(のこ)が挽(ひ)いてくれのだが、今(いま)猶(なお)、職人(しょくにん)技(わざ)が求められているのである。
以前法話で話しが、達谷西光寺では平成27年度、慶長20年建立(こんりゅう)の鐘楼の御修復を計画している。でも、これがなかなかの難工事で、困って了(しま)うのである。例(たと)えば、木材の調達。一般の住宅ならば、日本農林規格(JAS)の製材を買えば、それで済む。でも、150貫(かん)、約600キロの洪(こう)鐘(しょう)を末永(すえなが)く吊るためには、中央の八角柱四本を六寸から九寸に替(か)えなければならない。梁も、ほぼ倍の寸法となる。だから、丸太は一抱(ひとかか)えもある大木(たいぼく)ばかりである。
これを揃(そろ)えるのに、じつに長い時間を要したのであるが、去る3月28日の早朝7時に、一関の工業団地にある山一(やまいち)木材(もくざい)の土場(どば)から、最後の丸太(まるた)となる十尺の栗一本とミズナラ二本を運び了(お)え、鐘楼の御修復材(ごしゅうふくざい)が全て揃った。いよいよ午前八時から木挽(こびき)が行われるのだが、原木(げんぼく)から無駄なく木取りするのは、木挽(こびき)職人(しょくにん)の腕の見せ所でもあるのだ。
達谷西光寺の建築工事で多用される栗は、じつにいい建築資材であるが、厄介(やっかい)な性質(たち)で、枯枝(かれえだ)を巻き込んで成長すると、そこから水が入り、洞(ぼら)になったりすることが多い。また、杉やヒバといった針葉樹と異なり、曲った木が多いから、注意深く木(き)取(ど)らなければならない。今回の木挽(こびき)は千葉製材所の先代社長で、達(たっ)谷(こく)西光寺(せいこうじ)番匠(ばんしょう)職(しき)佐藤時男棟梁が立ち会って行なわれた。
栗(くり)丸太(まるた)が台車に備え付けられ鋸(のこ)が入る。忽(たちま)ち、黄色い木肌が姿を現す。挽(ひ)いたその面(つら)を睨(にら)み、木材の素性(すじょう)を見極めながら慎重に進められ、作業が無事に終わったのは午後六時であった。あとは床材のミズナラ等(など)、板(いた)や細(こまか)い材料を残すばかりである。夕刻の薄暗い事務所で御茶を飲みながら、お次(つぎ)は棟梁さんの出番だなあ、と仕事を終えた職人たちが楽しそうに笑うのを聞いて、木挽(こびき)の腕がよくなければ優(すぐ)れた塔堂社殿は成(な)らないとつくづく実感した次第(しだい)である。斯くいう裏方の活躍も、ぜひ伝えておきたいと希(ねが)い、新年度初めの法話で紹介することとした
四月のテレホン法話「木挽(こびき)」4/1~/15

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2015-03-01 13:54:33 | 法話
「春」
 師走は雪が多く、厳しい冬が予想されたが、平成27年乙未(きのとひつじ)に年が改まると暖かい日が続き、雪も少ない。
前回の法話でも述べたが、今年は春の訪れが早いのである。立春と共に、春が来た。一月(ひとつき)近く、早いのではないか。
 じつは春が早(はや)過ぎると、困ることもあるのである。毎年のことだが、枝垂桜(しだれざくら)を筆頭(ひっとう)に境内の
老木(ろうぼく)に巣食(すく)う苔(こけ)を駆除するために、寒さの厳しい2月末のこの時期に、硫黄合剤(いおうごうざい)を
散布(さんぷ)するのである。いつもならば雪がたくさん残っている筈(はず)なのに、瞬(またた)く間に春めいてきたから、
慌(あわ)てて金成緑化に電話したら、まだ大丈夫です、と言われたのである。とまれ、25日には散布(さんぷ)を終え、まず
は一安心である。ね
 世は当(まさ)に、春である。雪のない道路を平泉に向かい、髢(かつら)石(いし)を過ぎると視界が開け、束(たば)稲山(しねやま)に、
春(はる)霞(がすみ)が立つのが見える。日当たりのいい南の土手だけではなく、至(いた)る処(ところ)でフクジュソウが咲いている。
ネコヤナギが芽吹(めぶ)き、梅の蕾(つぼみ)も大きく膨(ふく)らんでいるのである。
スイセンの芽(め)が角(つの)ぐみ、蕗(ふき)の薹(とう)ことバッケが出ているが、散布した硫黄合剤には毒性があるから、
食用に適(てき)さなくなってしまった。こんなことなら、先に摘(つ)んでおけばよかったのにと後悔(こうかい)するが、バッケを
見つけたのが月末の28日だから、笑うしかないではないか。
 春が早すぎる所為(せい)か、ちぐはぐなことも多いが、地表の温度が上がると、雪が降っても上から下から溶けてしまうのである。
 斯(か)くして、春は忽(たちま)ち来るだろう。
こんな年があってもいいと、28日に弟子と毘沙門堂での御勤(おつと)めを終えて、柔(やわ)らかな日差しを浴びて、階(きざはし)を
降(お)りながら思ったのである。明日(あす)から、春(はる)三月(さんげつ)である。

12月のテレホン法話(12/16~/31) 「糧飯(かてめし)」

2014-12-16 09:23:28 | 法話
「糧飯」
 糧(かて)飯(めし)、糧(かて)御飯(ごはん)とは、菜っ葉や大根や芋や豆などの雑穀を、少ない米の中に混ぜて炊(た)いたものをいう。テレビドラマでおしんが食(く)っていた大根(だいこん)飯(めし)も、この類(たぐい)であろう。
この糧(かて)飯(めし)こそが、師走十七日の観音様の御年越(おとしこし)祭(さい)の御神饌(ごしんせん)となる。その故は、粗末な飯でも食えますように、飢渇(けかつ)することがありませんようにと、観音様に切なる願(ねがい)を掛けて供えられたからである。さぞかし昔は、不味(まず)い飯だったのであろう。 

 さて、我(わが)達谷西光寺では、麦(むぎ)などの雑穀、豆、芋、銀杏、クリ、零余子(むかご)、大根の葉、胡麻類の他(ほか)、有体(ありてい)に言えば、あるものを沢山(たくさん)加え、醤油と塩を入れて炊き上げる。これがじつに旨(うま)い、とある集まりで話したところ、是非味わってみたいということになり、忽(たちま)ち数人の信者が十七日の直會(なおらい)に参集(さんじゅう)することとなったのである。
 
 毎月、十八日は観音様の御縁日(ごえんにち)である。来(きた)る師走(しわす)十七日は大晦日(おおみそか)で宵宮(よいみや)に当たるから、日が暮れて御神域に夜の帳(とばり)が下(お)りると、御歳(おとし)神様(かみさま)が注連縄(しめなわ)の改(あらた)められた三つの鳥居を潜(もぐ)り、燈篭(とうろう)に誘(いざな)われ御堂(おどう)に上(のぼ)られるのである。神様を御迎えしたのち、四箇法要が執り行われるが、神事であるから非公開である。そのあと御供所で直會(なおらい)、すなわち御神酒(おみき)と糧(かて)飯(めし)いただくことに決めたのである。
 
 師走(しわす)の御年越(おとしこし)祭(さい)は、二日の毘沙門様に始まる。毘沙門様には二つの鏡餅(かがみもち)を横に並べて、御供物とする。二十日の辯天様には、御強(おこわ)を卵型に握って御供(おそなえ)とし、二十八日の御不動様には茹でた小豆の上に鏡餅を三個三角に並べて御供(おそなえ)とする。つまり、佛様のためだけに作られる特別の御供物なので、我々が御相伴(おしょうばん)に預かるは難しい。

 斯(か)くして、糧(かて)飯(めし)を奉奠(ほうてん)する観音様の御年越(おとしこし)祭(さい)だけ、御供物(おくもつ)をいただくことが叶(かな)うわけだが、その由来(ゆらい)を改めて紹介したいと思う。我々は、飢えを忘れてはいないか。貧乏人は麦を食え、といった総理大臣がいたそうだが、有史以来我日本(にっほん)では、常に米が不足していたのだ。米余りの現在では想像し難いが、国内で完全自給できるようになるのは、戦後の昭和53年。ついこの前なのである。
 

手掛松と九葉紅葉

2014-10-01 08:56:21 | 法話

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「手掛松と九葉紅葉」

 

 去る九月七日に蝦蟆ヶ池辯天堂の落慶法要が恙なく終わり、正月修正會の御札作りに忙しい。陽も短くなり、少しばかり木々の葉が色づき始めてきた今日この頃、平穏なはずの我達谷西光寺で、困ったことが二つもある。

 

 

一つは、達谷窟毘沙門堂に、光背のごとく聳える眞鏡山上に生える手掛松が、マツクイムシの食害にあって、枯れ始めたことである。往古、悪路王が八尺堂山に敷かれた坂上田村麿公の陣を、この松に寄りかかりながら覗ったとの伝承を持つ由緒木なのである。もちろん後の木なのだが、山上から迫出した姿は雄渾そのもので、参拝客の眼を楽しませてきたのだが、9月初めの落慶法要の準備の頃から急に赤茶けてきて、じつに痛々しい。

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森林組合の見立てによれば万事休すで、11月に伐採のうえ燻蒸処理する予定というが、此処達谷のみならず、全国でマツクイムシが猛威を振るい、白砂清松と讃えられた美しい日本の風景が瀕死の状態であることは、法話で何度も述べた。ちなみに一昨年も山上の松が枯れ、伐採を目前に控えた11月2日に強風で折れ、毘沙門堂の屋根を突き破るという惨事も経験した。じつに困ったことである。

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もう一つは九葉紅葉が枯死しそうなことである。毘沙門堂の前に生え、文字通り九つに裂けた大きな葉が特徴で、紅葉がじつに美しい。菅江真澄の「かすむこまがた」にも記された、モミジの名木である。九葉は、心を込めて御供物を捧げる供養に繋がるから、毘沙門様への献木とされてきたのみならず、仙台の伊達の御館様の家紋である九曜紋に通ずることから、御巡検の折、ことのほか愛でられたと伝えられる。

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これも先代が枯れたのちに移植した、樹齢30年ほどの若木であったが、目通り五寸の幹にテッポウムシが何匹も入り、一昨年から樹勢が衰え始めた。あれこれ対策を講じたもののうまくいかず、今は根元にわずかなひこばえを残すにすぎない。モミジの類はことのほか樹齢が短く、急に枯れるから、じつに困るのである。

 

 

 

 由緒ある手掛松と九葉紅葉が枯れることは、達谷西光寺にとって一大事であるが、手掛松は材を何かに利用し、九葉紅葉は鐘楼のあたりに繁茂している何本かの中から、移植を試みたいと思う。とまれ、自然は意のままにならない。しかし、じつに有難いのである。