三之鳥居  (6/1~/15までの法話)

2014-05-31 14:39:12 | 法話

 

Img_4744 「三之鳥居」

 

 

 

達谷窟の御神域に鳥居が三基も建つのは、神仏習合の名残である。維新の分離ののちは、鳥居の名を避け、華表(けひょう)と称していた。正式な訓みでは華表(かひょう)になるが、こう書いて「とりい」と訓(くん)ずることもあるからややこしい。でもじつは、誰も華表(けひょう)なんぞと呼ばず、やっぱり鳥居と呼んでいたそうである。

 

 

 

Img_4725「いちのとりゐはいしのとりゐ にのとりゐはにのとりゐ さんのとりゐはさんのとりゐ」と謡われたとおり、一之鳥居は石造、二之鳥居は丹塗(にぬ)り、三之鳥居の「さん」は杉(すぎ)の音読みで、奉行坊杉の袂に建つからこう称されていたのであろう。ちなみに、達谷の石工が銘石の誉れも高い達谷石で刻んだ一之鳥居が当地最大であるのは、信徒である石工が毘沙門様を憚って、これより大きな鳥居を造ることを諒としなかったからという。

 

 

 

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黒門の石橋を渡ってすぐの一之鳥居は明神(みょうじん)鳥居だが、二之鳥居と三之鳥居は
稚児柱を控えさせる両部(りょうぶ)鳥居の系統である。ところが、本柱に台輪(だいわ)を設けず、それと稚児柱を繋いで、雨覆の屋根を掛けるのは、達谷窟独特の様式なのである。こんな鳥居は、山梨県の武田八幡宮に建つ二之鳥居のほか、私は寡聞にして知らないのである。

 

 

 

三之鳥居は、二之鳥居とともに平成十年に再建された。杉材で朱塗りであるが、築十六年を経て、塗料の剥落が著しいので、塗替工事を行っていることは、前回の法話でも述べた。その工事が5月31日にようやく完了したのである。

 

 

 

今回の塗料は洗朱で、以前より赤が鮮かに映える。でも、三之鳥居の「さん」は、

 

燦然(さんぜん)と光り輝くの「さん」でもあるから、より相応しく仕上がったのではないかと、自負しているのである。ちなみに、洗朱で塗り替えたら鳥居が大きくなって、扁額が小さく、注連縄(しめなわ)が細く感じられると、棟梁さんを始め多くの職人に指摘されたから、悩ましいのである。

 

 

 

とまれ、奈良や京都ならいざ知らず、岩手県内で、膠(にかわ)で溶かれた顔料で塗られた鳥居を眼にすることができるのは、ここ達谷窟毘沙門堂だけであろう。燦然と光り輝く三之鳥居を、ぜひ御覧あれかし。

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