「モリアオガエル」
モリアオガエルは森林に住み、アマガエルより一回り大きい両生類である。日本の固有種で、今時分に水面に迫り出した木の枝などに、オスとメスが粘液を足でかき回し泡立てて、そこに卵を産み付ける。泡のなかで受精し、孵化したオタマジャクシは雨の日に水面に落ちるという。
平泉では、中尊寺の峰薬師の西側の池が繁殖地として名高く、御師匠様の坊を訪問した折、今年も白い泡の塊を一つ見つけた。私は子供のころ、達谷西光寺の白山池で見ている。しかし、もう40年ぐらい昔でいずれも卵塊は一つのみ、その後は全く記憶にない。ともあれ、モリアオガエルは生息数を減らしているという。自然林の多くが伐採植林され、また木に覆われた湖沼が少なくなったのが主な理由らしい。
ところが驚くなかれ、我達谷西光寺の女性職員が白山池の奥でモリアオガエルの卵を発見した。さっそく行ってみると、その数なんと7個で、1個はミズバショウの葉。残りは植林したアオモリヒバの葉に産み付けられていた。
3個は褐色で潰れているから、すでにオタマジャクシが孵ったらしいが、残りはまだふわふわだから、産んでから日が浅いのだろう。池の中では2センチほどのオタマジャクシがたくさん泳いでいたが、ガマガエルのオタマジャクシほど黒くないので、識別は簡単である。余談ながら、当地ではオタマジャクシをギャラゴ、ガマガエルをフルダという。斯くなる呼び名が伝わるのも、カエルが如何に身近な生き物であったのかの証左となろう。
実は小学生のころ、家から歩いて10分ほどの、北沢の沢沿いの池で珍しいものにあったことがある。早春のまだ冬枯れの雑木に日を遮るすべなどなく、照らされた池の底に100を超える白い塊が見えた。これはイモリ、当地でいうアカハラの卵である。その後同じ年ではないが、ちょうど今頃、深緑に覆われたこの池で、モリアオガエルの卵塊が、池の汀の低木に何個か産み付けられているのを見つけたのだが、ふと見上げると頭上の枝という枝に、白い塊が鈴なりに生っていたのである。イモリは、泡の中から落ちてくるオタマジャクシを真下で待ち構えて捕食するそうだから、これを餌としてイモリの繁栄がなっていた訳である。
残酷が畜生道は斯くあるべきなのであろう。弱肉強食、食物連鎖は自然の道理であるものの、以前にも法話で述べたように、少子高齢化の日本では、自然が勢いを挽回しているように感じられるのである。