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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

長谷川櫂氏の「櫂」の文字

昨日の読売新聞で、詩歌や俳句のコラム「四季」の20周年を記念する特集記事があり、俳人で文芸評論家の「長谷川櫂」氏が鼎談を開かれていました。(^。^)

長谷川櫂さんは東大法学部卒の俳人で、松尾芭蕉の研究「古池に蛙(かわず)は飛び込んだか?」という論説で有名です。(^-^)

長谷川櫂氏の説では、芭蕉の名句「古池や蛙飛び込む水の音」は、蛙が池に飛び込む姿を見て詠んだと思われがちだが、そうではなく、まず水の音を聴いて、そこから心象風景として、蛙が池に飛び込む姿が浮かんだ、と解釈されています。(^_^)

コペルニクス的転回として、物議を呼んだこの長谷川説ですが、俳句の「切れ」に基づいた論説で、「古池や、、、」と始まる部分の「や」が、いわゆる「切れ」の決め手とされています。m(._.)m

例えば、「古池に蛙飛び込む〜」ならば、「切れ」はなく、単に古池に蛙が飛び込む事象を詠んだことになりますが、芭蕉がわざわざ「古池や〜」と記しているのは、「古池と蛙が飛び込む姿は別もので、芭蕉はポチャンという水の音を聞いて、そこから古池を想起したのだ」と論じています。٩( ᐛ )و

古池をめぐる「や」と「に」で、解釈にえらい違いが出てくるものなんですね!!(◎_◎;)

おっと、そんな難しい話ではなく、この「長谷川櫂」さんが、馬関の初孫「櫂ちゃん」と同じ漢字のおじさんだよ、ということを言いたかっただけなんですけどね!( ^_^)/~~~

「奮い行け蛙の如く跳び上がれ!」 祖谷馬関

(注)蛙は、田に水が張られるころ、雄は雌を求めてさかんに鳴き始める。昼夜の別なくなき続け、のどかさを誘う。「かはず」はもともとカジカガエルのことをさしていたが、平安時代から一般の蛙と混同されるようになった。
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