青蓮院は、三千院、妙法院と共に、天台宗の三門跡寺院と称されています。
「門跡寺院」とは皇族や摂関家の子弟が入寺する寺院のことであり、青蓮院は多くの法親王・入道親王が門主を務め、格式を誇ってきました。(^。^)
江戸時代の天明8年(1788年)、天明の大火で内裏が焼失した折には、青蓮院が後桜町上皇の仮仙洞御所となった。このため「青蓮院旧仮御所」として国の史跡に指定されています。(^-^)
日本三不動の1つ「青不動」のある寺としても知られており、歴代住職のうち、第3世門主の慈鎮和尚慈円は歴史書『愚管抄』の著者として有名です。(^_^)
また、第17世門主の「尊円法親王」は伏見天皇の第6皇子で、名筆家として知られており、尊円法親王の書風は江戸時代に広く普及した和様書風「御家流」の源流とされています。( ; _ ; )/~~~
そのほか、室町時代には、後に室町幕府第6代将軍「足利義教」となる「義円」が門主を務めており、衰微期の本願寺が末寺として属し、後に本願寺の興隆に尽くした「蓮如」もここで得度を受けています。(^-^)
門前の大きな樟は、京都市の天然記念物に登録されており、ノーベル文学賞を受賞した川端康成氏の名作「古都」にも、主人公の千恵子が父親と共に訪れる場所として扱われています。( ^_^)/~~~
「古都の秋青蓮院の樟に
来し方想ひ哀しみを問ふ」
by 祖谷馬関