明治期を中心とした京都画壇の系譜は、近世からの狩野派や土佐派といった絵師集団の流れを土台に、円山応挙や与謝蕪村などから派生して多様な発展を遂げていきます。(^。^)
与謝蕪村に学び、応挙にも師事した「呉春」は「四条派」を立ち上げ、写生画に瀟洒な情趣を加味した独自の画風を作り上げました。(^-^)
「円山派」と「四条派」は、京都画壇の主流となり、その影響力は近代にも及びました。(^_^)
やがて、塩川文麟に師事した「幸野楳嶺」や「久保田米僊」らが中心となり、「京都府画学校」を設立、初代学長には、富岡鉄斎の恩師にあたる「田能村直入」が就任し、「竹内栖鳳」「今尾景年」などを教授に迎えました。( ^_^)/~~~
やがて、塩川文麟に師事した「幸野楳嶺」や「久保田米僊」らが中心となり、「京都府画学校」を設立、初代学長には、富岡鉄斎の恩師にあたる「田能村直入」が就任し、「竹内栖鳳」「今尾景年」などを教授に迎えました。( ^_^)/~~~
今尾景年に師事した「木島櫻谷」は、仔鹿などの動物画をはじめ、ここ数年、その作品が注目されていますね。
画学校は、女性初の文化勲章受賞者「上村松園」などを輩出し、現在の「京都市立芸術大学」につながっていきます。(^_^)
「蕪村より呉春四条派京画壇
応挙の風よ櫻谷に吹け」
by 祖谷馬関