毎年8月に市内六寺院にある地蔵菩薩を参拝する信仰なのですが、古く平安時代に、小野篁によって1本の木から6体の地蔵が彫られ、疫病や災厄から都を守るため、これらの地蔵を1体ずつ街道の入り口に安置したと言われています。(^-^)
毎年、地蔵盆の行われる8月22日・23日、それら六地蔵を巡って無病息災を祈願し、お幡と呼ばれるお札を授かるのですが、それぞれの地蔵の特徴は次のとおりです。(^_^)
①上善寺〔北区〕ー鞍馬口地蔵(姉子地蔵)(六歳念仏あり)
863(貞観5)年に千本今出川に創建、1594(文禄3)年に現在の地へ。鞍馬口地蔵は明治時代の廃仏毀釈により、深泥池の畔にあった鞍馬街道近くから移されました。
863(貞観5)年に千本今出川に創建、1594(文禄3)年に現在の地へ。鞍馬口地蔵は明治時代の廃仏毀釈により、深泥池の畔にあった鞍馬街道近くから移されました。
②徳林庵〔山科区〕ー山科廻り地蔵
1550(天文19)年に創建。山科地蔵は東海道の守護仏として慕われてきました。
1550(天文19)年に創建。山科地蔵は東海道の守護仏として慕われてきました。
③大善寺〔伏見区〕ー伏見六地蔵
六地蔵発祥の地
705(慶雲2)年に法雲寺として創建。852(仁寿2)年に篁が彫った6体の地蔵を安置したことから、六地蔵と呼ばれるようになりました。伏見六地蔵は、真綿が蚕から作られることから、虫の供養の意味を込めて綿をかぶっています。
六地蔵発祥の地
705(慶雲2)年に法雲寺として創建。852(仁寿2)年に篁が彫った6体の地蔵を安置したことから、六地蔵と呼ばれるようになりました。伏見六地蔵は、真綿が蚕から作られることから、虫の供養の意味を込めて綿をかぶっています。
④浄禅寺〔南区〕ー鳥羽地蔵(鉦講あり)
文覚上人が開基。鳥羽地蔵の高さは約2.3mで、平安京のメインストリートだった朱雀大路から続く鳥羽街道に安置されました。
浄禅寺では、8月22日・23日のみ京都市の指定文化財である平安時代作の十一面観音像を特別公開しています。
文覚上人が開基。鳥羽地蔵の高さは約2.3mで、平安京のメインストリートだった朱雀大路から続く鳥羽街道に安置されました。
浄禅寺では、8月22日・23日のみ京都市の指定文化財である平安時代作の十一面観音像を特別公開しています。
⑤地蔵寺〔西京区〕ー桂地蔵(姉井地蔵)
桂大納言と呼ばれた源経信の別邸が寺に改められたとされています。木の最下部から彫られた桂地蔵は、室町時代中期に七条通西の山陰街道口から現在の地へ移されました。
桂地蔵は、高さ約2.65mもある一番大きな地蔵です。そのことから「大きい=お姉さん」といった意味で「姉井地蔵」とも呼ばれています。
桂大納言と呼ばれた源経信の別邸が寺に改められたとされています。木の最下部から彫られた桂地蔵は、室町時代中期に七条通西の山陰街道口から現在の地へ移されました。
桂地蔵は、高さ約2.65mもある一番大きな地蔵です。そのことから「大きい=お姉さん」といった意味で「姉井地蔵」とも呼ばれています。
⑥源光寺〔右京区〕ー常盤地蔵(乙子地蔵)
嵯峨天皇の第3皇子で左大臣の源常が創建したとも、源義経の母・常盤御前が居住した常盤院が起源とも伝わります。常盤地蔵は6体の中で一番小さな地蔵菩薩です。
鞍馬口地蔵が姉子地蔵と呼ばれるのに対し、一番小さな常盤地蔵は、乙子地蔵と呼ばれます。
嵯峨天皇の第3皇子で左大臣の源常が創建したとも、源義経の母・常盤御前が居住した常盤院が起源とも伝わります。常盤地蔵は6体の中で一番小さな地蔵菩薩です。
鞍馬口地蔵が姉子地蔵と呼ばれるのに対し、一番小さな常盤地蔵は、乙子地蔵と呼ばれます。
真夏の信仰である「六地蔵巡り」、、、今年は真冬に、粉雪の散る中、悪霊退散を願いに巡りたい一句。
「風花を掌に往く六地蔵」 祖谷馬関