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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

宝石店の強盗と虎落笛

またしても、宝石店の強盗事件が東京上野の御徒町で発生しました。( ; _ ; )/~~~

三人組の犯人たちは、宝石店に押し入ると、バールでガラスケースを叩き割り、貴金属類を鷲掴みにし逃走しようとしますが、、、(°▽°)

今回は、体格の良い店員が「さすまた」で応戦したと聞きました。!(◎_◎;)

逃走手段のバイクも倒されて、犯人は散り散りに走って逃げたとか、、、痛快ですね!(^。^)

しかし、さすがに「さすまた」でも、本来の使い方ではなく、振り回して威嚇するような映像でした。(^-^)

店員さんや市民に怪我がなくて何よりでしたが、今回も防犯カメラの分析によって、犯人はじきに逮捕されることでしょう。(^_^)

それにしても、逮捕は確実なのに、なぜこうも強盗事件が続発するんですかねぇ、、、犯人自身が失うものの方が大きいのに。(≧∇≦)

「山賊の足取りを追ふ虎落笛」 祖谷馬関

(注)虎落笛は冬の季語。厳寒の夜空を、風がヒューヒューと音を立てて渡ること。「虎落」とは竹を立て並べて作った柵や竹垣のこと。それが烈風に吹かれて、笛のように音を立てることに由来する。

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

「京都検定対策シリーズ」

【藤原道長】

(1)道長の父(兼家)を祀る東三条社と呼ばれる神社は 「大将軍神社」
★東三条社(大将軍神社)にある樹齢800年と伝わる大樹は 「銀杏」 *鵺の森、源頼政

(2)最初の女院号・東三条院を与えられた道長の姉は 「藤原詮子」
★上記人物は(一条)天皇の生母★★

(3)道長の兄・道綱の母が著した日記は 「蜻蛉日記」
★「栄華物語」を著したと伝わる女性作家は 「赤染衛門」★★

(4)道長の政治的、経済的基盤の形成に大きな意味を有した正室は 「源倫子」★★★
★藤原氏の氏寺・浄妙寺、一族の墓・宇治陵がある宇治市の地名は 「木幡」★

(5)一家三后・・彰子(一条)・妍子(三条)・威子(後一条)★★★
★清少納言が仕えた一条天皇の中宮は、その父は 「藤原彰子」「藤原道長」★

(6)宇治殿を寺に改めた道長の長男は 「藤原頼通」
★平等院の多宝塔、白山神社を建てた上記人物の娘は 「藤原寛子」★★★

(7)京都御苑の東北、東京極大路の西側に建てられた道長の邸宅は 「土御門殿」★
★左京の拡大によってできた東京極大路と鴨川との間の大路は 「東朱雀大路」★★

(8)荒神口通寺町東入ルに石碑がある道長臨終の場所とされる寺院は 「無量寿院法成寺」
★九体阿弥陀堂があった上記寺院の疎石を引き取った浄土宗寺院は 「清浄華院」★★★

(9)道長の繁栄を描いた「栄華物語」は赤染衛門作と伝わる
★小野小町の双璧といわれた女流歌人は 「伊勢」

(10)「・・望月の欠けたること・・」の道長の歌が記された「小右記」の作者は 「藤原実資」★
★上記人物の所領だったとされる長岡京市東部の地名は 「神足」★★

(11)道長の日記「御堂関白記」を所蔵するのは 「陽明文庫」★★
★「(陽明)文庫」の創設者は 「近衛文麿」★★

(12)藤原忠平建立の(法性寺)に、道長は五大堂を建てた
★その五大堂の中尊・不動明王が祀られる東福寺の塔頭は 「同聚院」★★

(13)誠心院は、娘(彰子)に頼まれ、(和泉式部)のために庵を建てたのが始まり
★誠心院は、(槇村正直)が開通させた新京極通(商店街)にある

(14)道長に仕えた「土蜘蛛」伝説で知られる源満仲の子は 「源頼光」
★経基を祭神とし、満仲創建の六孫王神社の大祭は 「宝永祭」★

(15)道長が木幡の建立した藤原北家の菩提寺は 「浄妙寺」★
★上記寺院の遺仏である阿弥陀如来像が伝わる浄土宗寺院は 「願行寺」★
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