「春なれや名もなき山の薄霞」 芭蕉
う〜ん、、、平凡な句やねぇ、、、どうした?、芭蕉翁!!(◎_◎;)
この野ざらし紀行、、、時々、このような凡打が出ます。芭蕉も人の子、ですね。m(__)m
ネット上での解説は、こんな感じです。(^-^)
「春なれや」には、「春だなあ」という詠嘆の意が込められる。歌人たちは、大和の天の香具山・佐保山など歌枕である名山の霞に春の到来を詠んできた。そうした古典の伝統を念頭に置きながら、それを打ち返し、「名もなき山の薄霞」に眼をとめたところに、芭蕉俳諧の新しみがある。本歌をふまえ、「薄霞」に推敲することにより、余寒の中にも浅春の季節感が表現された。
(句意)
「ああ、いよいよ春が来たのだなあ。いつもなら見過ごしてしまうような名もない山々にも、うっすら薄霞がたなびいていることよ。」
にゃるへそ!🐈⬛
けど、そんなに良い句とは思えなくて、、、すみましぇん!( ; _ ; )/~~~
かえって、「この句を詠んだ日の前夜、奈良への出立を控えた芭蕉一行は、伊賀にて別れの宴を楽しみ、かなりの二日酔いであった」くらいの酩酊解説がある方が、お茶目でよろしい。(^-^)
大上段の大向こうから断言しますと、文豪や画伯、どんなアーティストにも、いわゆる駄作は付き物、だと思います。(^_^)
世のアーティスト達は、独特の感性を駆使して、いろんな試みをしますよね。その中で、「趣向の異なる作品」が生まれるのだと思います。(^。^)
興味深いことに、そんな異分子な作品たちを、殊の外、アーティスト自身が大切に考えている、という点です。(^-^)
中には、「Baddist」なる「Best」の逆の作品集を編んだ輩も、ちらほら。( ; _ ; )/~~~
それにしても、駄作、藪医者、ど阿呆など、物事を蔑視する際、なぜにこれほど「濁点」が多いのか、、、挙句に、西洋言葉も「バッド」と来た!!(◎_◎;)
では、濁点に慈しみを覚える返句をば。( ^_^)/~~~
「沙婆駄馬と武具馬具ダンス花万朶」 祖谷馬関