「露とくとく試みに浮世すゝがばや」 芭蕉
(句意)
今もとくとくとわいて流れ落ちる、西行法師ゆかりの苔の間を流れる清水で、試しにこの身に積もった俗世間の塵を洗いすすいでみようか。 吉野山にある西行の草庵跡とゆかりの苔清水を訪れた折の句。
機知に富んだ、ある種コミカルな句ですよね、、、時代は下って幕末に、坂本龍馬が「この世を洗濯する」と表現したかと思いますが。(^-^)
そう考えると、かの有名な「古池や蛙飛び込む水の音」の句も、コミカルに思えて来るから不思議です。
こんな風に言うと、せっかくの風情はぶち壊しになりますが!!(◎_◎;)
思えば、俳句をはじめ、文学や芸術には、ウィットや機転、或いは捻りが無いと、成り立たないのかも知れません。m(__)m
受け手のイメージを膨らませ、作品の世界に引き込んでゆく、そんな魅力が必要だと思います。(^。^)
それにしても、芭蕉翁は、西行法師が好きなんですね。作品の随所に西行の人影が現れます。(^-^)
西行は、1118年生まれ、1140年に出家、1190年に河内国(現・河南町)の弘川寺で入寂されました。晩年に詠んだ一首「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」は、そのとおりに西行が最期を迎えたこともあり、殊に有名です。( ; _ ; )/~~~
そんな西行の時代から五百余年も下って、寛永年間、1644年に松尾芭蕉が伊賀上野に生を受けています。(^_^)
さらには、芭蕉翁誕生から、三百余年を経て、この祖谷馬関が生まれましたので、芭蕉先生と私淑の弟子・馬関の関係性、「芭蕉ー馬関ライン」の方が、かの「西行ー芭蕉ライン」よりも、時代的には近い、、、と無茶苦茶な論理ですが。!(◎_◎;)
というわけで、勝手な私淑弟子、祖谷馬関の一句。
「師の背中三百余年走り梅雨」 祖谷馬関