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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

「一家に遊女も寝たり萩と月」 芭蕉

一寸先は闇」、、、古来、人の世の真実を言い当てた言葉として伝えられて来ました。(^。^)

簡単に見える一言ですが、生きていると、本当にその旨を実感する場面がありますね。(^-^)

ただ、このような諺や格言には、必ず反対の意味を持つ言葉もまた存在します。m(__)m

例えば、「仏の顔も三度まで」とあるのに、「二度あることは三度ある」とも言ったりします。!(◎_◎;)

では、「一寸先は闇」の逆は、、、「一寸先は光」じゃなくて、「三分先は光」というのがあるらしいですが、しっくり来ませんね。(T . T)

「転ばぬ先の杖」、、、うーん、これも逆の意味というより、闇への備えのようなニュアンスですね。(^_^)

馬関的には、「待てば海路の日和あり」かな?、と思ったりもします。(^。^)

人生、捨てたもんじゃない!、と希望が持てる言葉、、、探したいですね。( ^_^)/~~~

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

さて、「奥の細道」より、今日の一句。

「一家に遊女も寝たり萩と月」 芭蕉

出ました!、芭蕉翁の俳風からすると、珍しくエロティックな印象の一句。(^。^)

ま、遊女が登場するだけで、そんな風に受け止める方が可笑しいのかもしれませんが、、、「遊女と寝たり」ですからねぇ。( ; _ ; )/~~~

正しい鑑賞法を調べてみましょう。(^-^)

(解説)
この句は、研究においては「松尾芭蕉が創作したエピソードではないか?」とされています。
なぜこのエピソードを創作したのか調べていくと、「歌仙において恋が必要であったからではないか」という文言がよく出てきます。
当時、恋は人情の最上のものとして重んじられていました。
そのため、遊女に恋をしていたという意味ではなく、芭蕉は旅において、どこかで人情の話を入れたくて、このような創作をしたのかもしれません。
また、萩の花をはかない遊女に、月を芭蕉として捉えているという見方(=比喩)もあります。

(句意)
自分と同じ屋根の下に、はなやかな遊女が泊まりあわせて寝ている。庭の萩の花が秋の月に照らされているなあ

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

へぇ〜、創作話でしたか。
芭蕉の句ともなると、いろいろな角度から研究されているんですね。(^_^)

しかし、一切の予備知識なく、句から受ける印象だけで名句を味わうことも大切だと思います。m(__)m

では、馬関より、返句献上申し上げます。

 「まるめろの実に安らげる日入かな」 祖谷馬関

(注)バラ科マルメロ属の落葉低木、小高木。高さは七、八メートルに なる。五月ごろ枝先に白または淡紅色の花を一つつける。実は九 月から十月に黄熟する。香りがよく、生食するほか、果実酒やジ ャムなどに利用する。咳止めの薬にもなる。

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