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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

「死にもせぬ旅寝の果よ秋の暮」 芭蕉

野ざらし紀行、、、当たり前ですが、徒歩の旅、、、江戸時代の人、あ、それ以前の時代も、みんなよく歩いたんですね。(^。^)

現代は、健康のために歩こう!、なんて言ってますが、徒歩が基本の世の中なら、足腰の弱り方も違ったでしょうね。(^-^)

ただし、旅も命懸けだったはず。
芭蕉さんも、野ざらし紀行の折は四十路の掛かりで、それほど若くもない。
いろんな危険や災いがあったことでしょう。(^_^)

今日の一句はこちら。

死にもせぬ旅寝たびねはてよ秋の暮」 芭蕉

旅寝の果て、とはこれ如何に、、、なんだか自らを突き放したような、諦めたようなニュアンスのワードで、良いと思います。( ; _ ; )/~~~

句の前文として、「大垣に泊りける夜は、木因が家をあるじとす。武蔵野を出づる時、野ざらしを心に おもひて旅立ければ、」とあるそうで、句意は次のとおり。

「野ざらしを覚悟の旅だったが、長い旅路を辿り辿って秋も果てようとする今、どうやら死にもせずやっとここまで辿り着いたことよ。」

馬関の身の上としては、飲み過ぎた晩の帰りの地下鉄で「旅寝の果て」、駅員に起こされる、、、せいぜいそんなところです。m(__)m

 「あめんぼう浮世の浪も知らぬ顔」 祖谷馬関

あめんぼう、は六月の季語。
「水馬」と書いて、あめんぼう、又は、水すまし、と読むそうです、、、知らなんだ。!(◎_◎;)

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