退耕庵は、1346年(貞和2)、性海霊見が東福寺塔頭として創建した寺院です。(^。^)
応仁の乱で荒廃しましたが、慶長年間に再興。境内には、石田三成と宇喜多秀家が関ヶ原の戦いの謀議を行った茶室「昨夢軒」があります。(^_^)
昨夢軒は、大徳寺の黄梅院にもありますね。
ちなみに、黄梅院は、織田信長の父・信秀の追善供養のため創建された小庵に始まり、本堂や唐門、日本の禅宗寺院において現存最古という庫裡は重要文化財に指定されています。
豊臣秀吉の軍旗瓢箪をかたどった池を配す千利休作庭の「直中庭」、利休の「茶の湯」の師である武野紹鷗好みの茶室「昨夢軒」が有名です。( ; _ ; )/~~~
また、鳥羽・伏見の戦いの戦死者の菩提寺にもなっていますが、退耕庵には、小野小町ゆかりの恋文を胎内に納めて作った玉章(たまずさ)地蔵があります。m(._.)m
玉章地蔵は、小野小町宛ての恋文が胎内に納められていると言われ、小野小町が無数の餓鬼を救済する為、老後に作った地蔵菩薩像で、「文張地蔵」とも呼ばれています。( ^_^)/~~~
「恋文や退耕庵の玉章の
地蔵の慈悲に小町を想ふ」
by 祖谷馬関