沖縄・台湾友の会

《台湾に興味のある方》《台湾を愛する方》《不治の病・台湾病を患ってしまった方》皆んなで色々語り合いたいものです。

中国新幹線、年末に営業キロが4万キロを突破   北は牡丹江から南西はチベットの奥地まで「八縦八横」構想が実現

2022-01-03 23:31:31 | 日記
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和四年(2022)1月4日(火曜日)
     通巻7178号 
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 中国新幹線、年末に営業キロが4万キロを突破
  北は牡丹江から南西はチベットの奥地まで「八縦八横」構想が実現
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 12月30日に中国新幹線は安慶から九江までが繋がり、営業キロが4万キロを突破した。
従来線を合算すると、中国の鉄道は15万キロとなって世界有数の鉄道王国になる。

 北は哈爾浜とジェムス、牡丹江、長春の迂回路も繋がり、南は雲南省のシーサンパンナ。ここからラオスのビエンチャンにも繋がった。

 チベットは青海省西寧からラサに繋げた高山軌道(青蔵鉄道)が奥のシガツェから林芝まで伸びた。
 南北に四つの幹線、東西は連雲港からウイグルのウルムチへ。ここから欧州へ繋がっている。2008年に立案された四縦四横は完成し、2016年の改定案では「八縦八横」となり、さらに中国新幹線は拡大路線をひた走るのである。

 「輝かしい」発展だが、影の部分がある。累積債務は公式に84兆円。隠れた債務を含めると160兆円と推定されているが、親方五星紅旗、イケイケどんどん、後は野となれ山となれだ。
 恒大集団などデベロッパーは民間企業だから赤字経営となると倒産する。しかし中国新幹線は国有であり、事業体は中国鉄建などいずれも国有企業。

 世界一の技術と称賛された日本の新幹線、ちなみに営業キロは3000キロちょっと。中国の13分の1となった。ま、人口は十倍、国土面積は26倍だから、そういう比較は意味がないかも知れない。重要なポイント:日本の新幹線は黒字である。

わたなべ りやうじらう のメイル・マガジン   頂門の一針 6006号

2022-01-03 19:33:23 | 日記
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護憲派は幕末の頑迷無知な攘夷論者と同じ
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       加瀬英明 


人間は最強の肉食獣として、食物連鎖の頂点に立っている。それだけでは なく途方もない浪費癖にとりつかれているために、戦闘と略奪を生業とし てきたが、同じ人間を天
敵としている唯一つの生物だ。

 米国が日本占領下で無理強(じ)いした「日本国憲法」は、このような 人類の歴史を貫いてきた真理から、眼をそむけさせてきた。狂った憲法だ。

 日本は取り巻く国際環境が大きく変化して、“第2の幕末”に直面している。

 ところが、護憲派は戦後76年にわたる米国の軍事保護による、徳川時代 と同じ泰平の世にすっかり馴(な)れて、いまだに日本国憲法を「平和憲 法」と呼んでいる。動物園
で育った飼育動物が野生を忘れて、天敵を知らないのによく似ている。

 護憲派は幕末の頑迷無知な攘夷論者の生まれ変わりだ。

 吉田松陰の言葉をかりると、米国のペルリ艦隊が浦賀に現われて1年後 に戻るといって去ると、「来春には必定(かならず)一戦に及ぶべし」と 予想した。

 「しかるに泰平の気習(きならい)として、戦(いくさ)は万代の後迄 (のちまで)もなきことの様に思ふもの多し。豈に嘆ずべきの甚(はな は)だしさに非ずや」と、嘆いている。

 松陰は2年後に「航海通市(開国)こそ国家の大計」で、「鎖国は末世 (まっせい)の幣政(へいせい)なり」と断じている。

 護憲派は日本国憲法を権現様(ごんげんさま=徳川家康のこと)が鎖国 を定めた祖法と同じように崇めて、いささかも改めてはならないと主張し ている。自衛隊をしぶしぶ
認めているが、政府も「必要最小限の防衛力を整備する」という建前を とってきた。

 だが、愛する家族が重い病気にかかった時に、病院に「必要最小限の治 療をして下さい」と求めるだろうか。

 杉田玄白(1733年~1817年)といえば蘭医者で、『解体新書』 によって学校教科書にのっている。先人の優れた儒学者の荻生徂徠 (1666年~1728年)が人体を戦場にたとえて「地に嶮易あり、兵 に強弱あり、備(そなえ)を立て勝敗を論す」と、医学が兵学と同じだと 説いているのに、国と人体は同じだと、目を開かれたと述べている。
 護憲派の男女に、玄白や徂徠の著書を読んでほしい。


ウイグル書記に「栄転」した馬興瑞は、なぜ次記政治局人事で注目されるのか? 宇宙航空ミサイル分野の花形「哈爾浜工業大学」教授、副学長を経験した実績

2022-01-03 19:29:56 | 日記
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和四年(2022)1月3日(月曜日)
     通巻7177号 
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 ウイグル書記に「栄転」した馬興瑞は、なぜ次記政治局人事で注目されるのか?
宇宙航空ミサイル分野の花形「哈爾浜工業大学」教授、副学長を経験した実績
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 唐突に深セン書記から新卿ウイグル自治区党委員会書記に「栄転」した馬興瑞は、なぜ次記政治局人事で注目されるのか?
 第一に彼は宇宙航空ミサイル分野で、軍の花形となった戦略ミサイル部隊に直結する哈爾浜工業大学教授、副学長を経験しているからだ。
 第二に中国にシリコンバレーとして経済発展のめざましい深センの書記兼広東省省長だった。このポジションは歴代がそうであったように無言裡の躍進が約束されている。
 鍵は深センという急発展の都会にある。

 最初に深センを「見た」のは1970年代央、香港のホンハム駅からのんびりと汽車で行く(特急も新幹線もなかった)。国境の羅府のひとつ手前の駅からタクシー運転手が乗り込んできた「国境展望台まで安く行くから」とセールス。双眼鏡が設置されていた。中国は未だ鎖国していた。
(嗚呼、あれがレッドチャイナか)という感じだった。遠景にはみすぼらしい風景が展開していた。
 80年代初頭だったと記憶するが、実際に深センに足を踏み入れたのは香港から旅行代理店が斡旋する日帰りツアーで、別刷のヴィザが日帰りなのに必要だった。写真二枚。外国人ツアーに紛れ込んだ。香港の波止場から蛇口港へ、揺れるフェリーに乗って。当時は広東省宝安県で、人口は2万人程度だった。ガイドが当方の服装、靴、時計に異様な興味を持っていることが分かった。

 およそ文明化に遅れ、冷蔵庫は普及しておらず、もちろんエアコンはない。肉を天日のもと、屋台で売っていてビールもぬるい。時代遅れの電化製品と古着屋、貧しい漁村だった。歩道は舗装されておらず、行き交う車は滅法少なかった。
 広州市までバスに揺られ、花園ホテルのバアで休憩。「あんた日本人か。所属する単位は何か?」と聞かれ、職業は自由に選べると答えると信じられない顔つきだった。広州市は中国一先進的な都会だが、当時、外国人が宿泊できるのは花園ホテルと中国飯店、東方飯店くらいだった。いまは無数の高層ホテルがあり、広州は中国一の所得を誇る。広州の繁華街をあるくと「ここは銀座か」と錯覚するほどに繁栄している。

 トウ小平の南巡講話があり、先富論が叫ばれ、勝手気ままな投資も認められ、香港華僑、ついで台湾華僑が本格進出を始める。窓口は深センで、国境の橋にあった旅行代理店で、日本円で26000円を支払い、半年有効の数字ヴィザが取得できた。ものの20分だった。東京の中国大使館で不愉快な思いをしてヴィザを取得する必要がなくなった。

 改革開放が本格化し、のっぽビルが建つようになると、深セン駅前には闇両替、妖しげなポルノ、薬屋には「長生きできる妙薬」とか。「80歳でも大丈夫」とか。電機部品の秋葉原のような安普請のデパートがあった。スマホどころが、電話機が並んでいて、旅行客は貸し電話屋に飛びこんであちこちに電話をかけていた。甲高い音響というより壮大な雑音が町中に響き渡った。
 町はまだ普請中、道路は囚人が工事をしていた。何かハリウッド映画のスタジオを拡大したような風景で駅突き当たりのシャングリラホテルの最上階レストランから市内の全景が見渡せた。町辻のテントでは、横流しのセータやネクタイが山となって信じられないほど安い値段で売られていた。

 以後、所要で香港へ行くたびに、深センに足を延ばし、何回か通っている裡に高層ビルが競うように林立し、地下鉄が縦横に、そして日本人向けのナイトクラブに妖しげなホテル。筆者の定宿は駅前のボロ旅館で一泊3000円前後だった。
 いまとは逆で香港の中間階層のサラリーマンは、香港のマンションが高くて手が出ないので、深センでマンションを買い、毎日、およそ35万人が香港へ通勤していた。三洋電機の深セン工場を取材したこともあった。

 いまの深センは中国のシリコンバレー、ハイテク企業が蝟集し、テンセント、ファーウェイ、鴻海精密等々。日本人学校もある。人口は1760万人。高層ビルは350棟以上。飛行場は二つ。株式市場もできた。新幹線は武漢とも、上海とも繋がった。広州市経済圏とはマカオ対岸の珠海、仏山、中山、東莞と広州市までの沿線衛星都市が急発展し、メガロポリスの人口は1800万人くらいだろうか、広州市経済圏と深センを併せると上海メガロポリスを超える経済力がある。
 だからこそ広州市、深セン市、そして広東省の書記に誰がなるかが、北京、上海と並んで注目を集めるのである。 
 広東は革命元帥のひとり葉剣英とその一族が長く治め、下放されたトウ小平を梅県で匿った。剣英の子、葉選平を説得して北京へ呼び寄せ、ようやく広東の経済力を手にしたトウ小平は、広東省書記、広州市書記を中央から任命した。だから広東省書記を経験した李長春、張徳生、王洋が政治局常務委員となり、同書記経験組の胡春華(副首相)に次期人事のスポットがあたり、中央の大幹部への確実な階段となる。
 しかもシリコンバレーで繁栄を築いた深セン特別市の書記を経験すると、さらに早い出世階段を駆け上る。

 近年、張高麗、李鴻忠、そして先月、深セン市書記兼務広東省長の馬興瑞が、新彊ウイグル自治区書記に移動し、「悪代官」と呼ばれる陳全国と交替することになった。前者ふたりは政治局常務委員に上り詰めた。したがって馬興瑞の政治局入りは確実である。
張高麗はテニスの女王との不倫関係がばらされ、スケベジジィとして有名になったが、天津特別市書記からトップセブン入りした。そのあとの李鴻忠も2016年以来、天津市党委員会書記である。