フィンランド建築・デザイン雑記帳

森と湖の国、SUOMIのクリエーター達に想いをよせて....
チョット書き留めておきたいこと、昔の思い出・備忘録

フィンランド・タンペレ工科大学の思い出 アイスホッケーとパック

2010年03月07日 | 建築


バンクーバーでの冬季オリンピックも終わり、テレビ観戦で乱れていた生活がやっと正常に戻った。

フィンランドで最も人気のあるスポーツといえば、アイスホッケーだが、僕の机の上にアイスホッケーで使う、パックが飾ってある。
これは、もう30年近く前、フィンランドを離れるときに、タンペレ工科大学の建築の仲間が記念にと贈ってくれた、思い出が詰まったパックである。


僕が留学していたタンペレ工科大学(Tampereen teknillinen korkeakoulu)建築科は、今ではタンペレ郊外のヘルバンタの広大な敷地に、他の学科と共にあるが、当時は建築科(Arkkitehtuurin osasto)だけがタンペレ市内の中心、トゥオミオキルコンカツ(Tuomiokirkonkatu)通りにあった。

建物の1階が「セスト」というスーパーマーケットで、2階から5階までを学科が使用しているという、いささか大学らしからぬ環境、外観であった。 
5階には、学生達が自分専用の机や製図台、本棚を持ち、24時間自由に出入りできるアトリエのようなスペースがあった。
学生達は、壁にお気に入りのポスターや写真、図面を貼ったり、本棚のデコレーションを工夫したりと、各人思い思いに自分のスペースを創っていたのだが、当時だれもの机の上にあったのが、アイスホッケー(Jaakiekko)のパックだった。
これは、ここだけの現象かもしれないが、それぞれが、お気に入りチームのマークやロゴが入ったパックを机の上に3~4個置いていた。 図面や書類が風などで飛ばないようにと、重しとして使っていたのだと思う。



写真2: 当時、タンペレ工科大学建築科が2階から5階まで使用していた建物。 現在はタンペレ郊外、ヘルバンタの広大なキャンパスに他の学科と共にある。


写真3: 学生たちが自由に使えるアトリエ。
5階には、学生達が自分専用の机や製図台、本棚を持ち、24時間自由に出入りできるアトリエのようなスペースがあった。



写真4: 学生たちが自由に使えるアトリエ。 
机の上が散らかっているのは、どこの国の学生も同じ。



写真のパックは、僕が学校を離れるとき、5階のアトリエの仲間達が「お別れ会」のような小さなパーティーを開いてくれ、その時に机が近くだったユハ (Juha Ryosa)が自分が使っていたものの中から一番新しいのを選んで、僕に贈ってくれたものだ。
この機会にと、パーティーの写真も探してみたのだが、どこかに埋もれてしまって見つけ出せない。
僕の机の近くの何人かが集まってくれたのだが、ハッリ (Harri Ahonen)やぺナ (Pentti Kareoja)、ミッコ (Mikko Kaira)、ユハ (Juha Luoma)やメルヤ、シルッパ、マルヤなど、当時の顔が今でも懐かしく思い出される。
彼らは卒業後、後輩のイルマリ・ラハデルマ(Ilmari Lahdelma)やライネル・マハラマキ(Rainer Mahlamaki)と共に「Arkkitehtitoimisto 8 studio」を結成し、1990年代に国内コンペ常勝グループとして活躍した。 グループ解散後は、それぞれが、フィンランドの建築を担う建築家として活躍している。


アイスホッケーのパックは、北国の人でなければ、実物を見たことも触った事も無い、なじみのないものだろう。
パックは、硬質ゴムで出来た円盤で、厚さは1インチ(約2.5cm)、直径は3インチ(約7.6cm)、重さは5.5~6オンス(約170gr)で、これをスティックで弾き、ゴールに入れて得点を競う。 
パックが飛ぶ速度は、時として160Km/hにもなるとかで、観客や審判がパックに当たって負傷したり、プレーヤー同士の当たりの激しさで「氷上の格闘技」といわれる所以である。

僕は、タンペレの学生寮(Mikkon talo)に滞在時、同室のフィンランド学生の影響で、すっかりアイスホッケーファンになってしまった。
毎週末のように、友人達とアイススタジアム(Hakametsa Stadium)に観戦に出かけた。
主要な都市には、フィンランドリーグ(SM Liiga)に属する、それぞれのチームがあって、当時、タンペレをホームとするのは「タッパラ(Tappara)」と「イルベス(Ilves)」の2チームであった。 
僕の贔屓は、勿論「タッパラ」で、しばらくの間「タッパラファンクラブ」のメンバーとして登録していたほどだった。
確か、当時タンペレ工科大学の電気科(?)の学生が、プロとして「タッパラ」でプレーをしていて、学生たちの誇りであった。
当時、フィンランドリーグで最強だったのがヘルシンキのヘルシンギンIFK(Helsingin IFK)で、タンペレとヘルシンキの都市としてのライバル意識もあり、その試合は毎回荒れて、白熱した試合になるのが常だった。


写真5: タンペレスタジアムで行われた「タッパラ」と「イルベス」の試合風景。



写真6: 各ピリオドの間にスポンサーの宣伝が行われる。 リンク上に実際の乗用車が現れてビックリ。 さすがフィンランド!





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