建築やデザインの話題ではないが、今回は 「昭和の思いで・備忘録」。
フィンランド語の思い出。
昨今の語学学習の環境や道具の様変わりは、1970年代、1980年代(僅か4~50年前であるが・・・)とは隔世の感がある。
今日の世界は、語学習得にはなんと恵まれているのだろう。
YouTubeには、フィンランドからの様々な動画とフィンランド語があふれ、ラジオもテレビも、ストリーミング放送で、あたかもフィンランド国内で視聴しているかのごとくである。
世界各地からの難民や移民向けのフィンランド語学習番組も充実しているし、「 Yle Uutiset Selkosuomeksi 」という、ゆっくりとしたスピードと分かりやすいフィンランド語のみで、毎日のニュースを解説してくれる番組もある。
オンラインのフィンランド語辞書は、至れり尽くせりで、正しい発音も聞かせてくれる。 インターネット上には、数々のフィンランド語教室のWebサイト、語学学習の媒体には事欠かない。
僕が、フィンランド語に夢中になっていた時代は、ついこないだのように思うのだが、世の中の移り変わりの速さと、技術革新は、その時代を遥か彼方に追いやってしまった。
その時代とは、ニフティサーブの「パソコン通信」、その後の「インターネット」が普及する以前だから、やはり遥か彼方の世界なのだろう。
フィンランド語が、少し分かるようになると、生のフィンランド語に触れたくなる。
そんな時、自宅に居ながらフィンランド語を聴け、何よりも早くフィンランドの情報に接することができるのは、フィンランドからの短波放送だった。
フィンランド語放送は、フィンランドの国営放送局 YLEISRADIO OYが、短波を使って全世界に放送しているもので、フィンランドからの移民の多いオーストラリア向けの放送を受信することで、日本でも良好に聴くことができた。
当時、オーストラリア向けの放送は毎日、日本時間の夕方5時~6時30分と6時30分~7時にあり、会社勤めの身には厳しい時間だったが、残業を断り、悪友たちの誘いを聞こえぬ振りをして、我が家への直行は懐かしい思い出である。
当時の日記を読むと、
「お空 (電波)の状況は、春から夏のベストコンデション。 少し下の方に出ているモスクワ放送の混信を受けるが、今日もラジオ・フィンランドが良好に聞こえる。
6時28分にインターバル・シグナルから始まり、 "Täällä Suomen Yleisradio, This is Finnish Broadcasting Company" とフィンランド語と英語のアナウンスが入る。
続いて”ノーザンリポート”と題するニュース番組。
ニュースでは、フィンランドのケッコネン大統領(UKK)が西ドイツを訪れた際の演説、いくつかの国内ニュース、フィンランドのラリーチャンピオン、ハンヌ・ミッコラへのインタビューなどなど多彩な内容で、7時に放送終了。
今日は、北京放送に邪魔されないで良かった!」
とある。
日記の中で「北京放送に邪魔されなくて良かった!」 というのは当時、中国は国際電気通信連合(ITU、国際間の無線周波数帯の割当て、無線通信と電気通信分野において各国間の標準化と規制などを行う国際機関)に加盟していなくて、北京放送の運用は他の放送に混信を与えようが傍若無人、周波数も神出鬼没の滅茶苦茶で、その強力な電波は短波放送愛好家やアマチュア無線家から厄介者扱いだった。
ラジオ・フィンランドは、遥か8000㎞離れたフィンランドからフェージング (電波が強くなったり弱くなったりする現象)を伴って聞こえてくる、生のフィンランド語に心躍らせられた、懐かしい思い出である。
YLE Radio Finlandのベリーカード。
日本では、1970年代、80年代、外国放送を受信して楽しむ「BCL (Broadcasting Listening)」が若者の間でブームとなった。
ベリーカード(QSLカード)とは、Verification Cardの略で、放送局に放送を受信したとハガキで報告すると、受信確認とお礼の意味でカードが送られてくる。
このベリーカードは1978年、ラジオ・フィンランドから送られてきたもの。
1926年に設立された「フィンランド放送協会 YLE(Yleisradio)」の50周年を記念して1976年に発行された記念切手。
YLEは、フィンランド政府がその株式のほぼ100%を所有している国営放送局で、4つのテレビチャンネルと13のラジオチャンネル、25の地方局がある。
NHKやイギリスのBBC同様、収入の大部分を受信料で賄っている。
フィンランド語四週間 尾崎 義著 大学書林 昭和27年 (1952年)
フィンランド語基礎1500語 荻島崇著 大学書林 昭和58年(1983年)
1960年代、70年代、フィンランド語を学ぶ、誰もがお世話になった大学書林の四週間シリーズの「フィンランド語四週間 SUOMENKIELI NELJÄSSÄ VIIKOSSA」
当時、日本で発行されていたフィンランド語教科書は、唯一これだけだった。
僕たちは、フィンランド語が四週間でマスターできる本と勘違いし、皆がその内容の難しさに「四週間でなんて、とんでもないよね!」と。
「フィンランド語基礎1500語」は、薄い単語集で、語彙が1500語と限定的だが当時、日本で出版されていた唯一のフィンランド語辞書だったと思う。
FINNISH FOR FOREIGNERS 1-3
Maija-Hellikki Aaltio著 Otava社
フィンランドで出版された、外国人のためのフィンランド語の教科書。
六本木の鳥居坂にある「国際文化会館」で行われた、荻島崇先生のフィンランド教室でも、これがテキストだった。
No.1からNo.3まであるが、なかなか2,3へは、たどり着けない懐かしい本。
似たような教科書で、フィンランド語をフィンランド語で学ぶという「Suomea suomeksi 」という教科書もありましたね。
suomea suomeksi 1, Olli Nuutinen, Suomalaisen kirjallisuuden Seura , Helsinki
外国語の学習で、一番ポピュラーだった洋書はイギリスの「Teach Yourself Books」。
これは、フィンランド語。
Englanti-Suomi taskusanakirja, WSOY
フィンランド語辞書は、どれも輸入品で高価で買えなかった。 この辞書は、ポケットに入る小さな辞書だが、前半がフィンランド語から英語、後半が英語からフィンランド。
語彙は僕たちにとっては十分な量で、僕は一番活用した辞書だった。
フィンランド語文法読本 小泉保著 大学書林 昭和58年 (1983年)
イギリスの有名な外国語学習の教材 ”リンガフォン”。
1970年代、80年代、外国語を学習していた人には憧れの懐かしい教材。
当時、高額で若者には高嶺の花。 とても手が出なかったが、友人から中古を格安で譲ってもらった。
ハンドル付きのケースの中にはカセットテープが4本、教科書の他に、単語帳、文法解説書が入っていたが、解説は全て英語なのには苦労した!
【写真・撮影】 管理人
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