夫の両親は、自分達の墓はお前に任せると、かねがね夫に言っていました。
夫は長男だし、それは当然だと思っていす。
が、両親は先祖代々からのド鳥取県民だし、鳥取に墓を作って欲しいと思っているんだろうと、思っていました。
なので、一旦鳥取に墓を作って、私達が年老いて墓参りが困難になってから墓じまいをして、こちらに作り直す…のかなぁ。 …それ、大変だなぁ。って思っていたのです。
ところが義母は、「最近樹木葬っていうのがあるがぁ。(『あるが』というのは標準語の『「あるけれどしかし』という意味では無く、『あるよね』っていう意味の方言)あれでええでないか?」と言い出したのです。
私は前々から樹木葬がいいと思っていたので、義母と私の希望が一致したわけです。(ちなみに夫は「僕は何でもいい」って)言うし、義父も「わしゃ何でもええ」って言ってたので、我が家の決定権は妻たちということで(笑))
そして何より、墓じまいの心配も無くなりましたし。
そんな訳で、今、義父の骨は埋葬せずにお寺に預けてあって、義母亡き後、ふたりの骨をこちらに連れて来て、埋葬します。
で、本題。
ぼちぼち、お墓探しをしなければいけません。
義母は元気ですから、私の予想ではあと10年、100歳までは元気でいてくれると思っていますが、それでも、です。
自宅の近くにも市営霊園や民間の墓地がたくさんあって、宗教も問わず檀家でなくても入れるとうたった新聞の折り込みチラシが毎週末入っています。墓地も経営の競争が激しい業界のようです。
それとは別に、ここセカンドハウスの庭から見えるお寺にも、檀家の墓とは別に、樹木葬のエリアがあるので、ちょっと見学に行ってみました。
うちの庭から見て、矢印の所。
530前に建立された、歴史あるお寺です。
訪ねると、住職の奥さんが出て来て、お墓を案内してくれました。
もう何年も前からの知り合いのような、まあ、気さくな方でした。
樹木葬とひと言で言っても、大きな樹が一本立ってて、その周りにいくつもの骨が入っている共同墓地のような形だったり、コンクリートで固めた中に骨壺ごと入れるような形だったりする墓地も多く、それじゃあ樹木葬っていっても墓石が樹に変わるだけで、土には還れないじゃないっていうのも多い。
ここは、自分の区画の中に好きな樹を植えることができて、晒の袋に骨を入れてから土の中に直接埋められ、そして何より何よりペットも一緒にOKなのですよ。
樹木葬のエリアは檀家でなくても入れて、宗教も問わずなんだけど、ここのお寺の宗派がたまたま義父の希望している宗派でした。
義父が義母と交わした最後の会話が「もう一度房総に行ってみたい」だったそうで、それも何かの縁みたいなものを感じたりして。
お墓からの見晴らしもバツグンで、矢印がうちのセカンドハウスです。
いろいろ検討中です。
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