古代中国の夏・殷は私たちの歴史、漢字は東夷族が作った文(契)
~陳泰夏、仁済大客員教授
陳泰夏(ジン・デハ、仁済(インジェ)大学客員教授)
1.黄河文明の主役は東夷族
私たち韓民族の発祥地は松花江と遼河を中心に満州野原に雄拠した狩猟騎馬民族、として鴨緑江と豆満江を越え韓半島で南下する前にすでに黄河流域に進出して世界4大文明発祥地の一つである黄河文明を形成するのに主導的な役割をした民族であることを明らかにしなければ、私たち韓民族の古代史を正しく明らかにはできない。
中国の史学界でもこれまで新しく出土した遺跡を通じて、黄河地域の古代文物より遼河地域の古代文物がさらに発達していたと考証している。
これで遼河側の私たちの先祖である東夷族の文明が、黄河側に南下したことが分かる。
黄河流域に住んだいわゆる本来の漢族は、農耕民族として北側から南下する騎馬民族の東夷族に押され南に追われて、今日の中国の南方と東南アジア一帯に居住し、今は55族の少数民族の一つの客家族というものだ。
客家族は今でも自分たちが純粋漢族だと叫んでいる。
従って黄河文明の主役は漢族ではなく、東夷族であることは中国史学界ではすでに公認された事実だ。
まだ私たちの史学界では、黄河文明は漢族が作った文明と一般的に認識しているのは、非常に残念なことだ。
今でも私たちは過去の誤った我が韓民族の歴史を一つ一つ正しく探して整理し、確固たる民族史観と民族精気を確立しなければならない。
2.檀君より先んじた蚩尤天王(中略)
3.漢字は東夷族が創造
中国の文字学者李敬斎は「…在武功方面、諸夏雖獲勝利、而在文化方面則同化於東夷矣.…夫東夷果何等人耶.乃悌慈祥、薄武力而崇芸術之人也.其代表人物如舜(孟子曰舜、東夷之人也).
至仁至孝、能使人譲以天下、而以復以天下譲人、真古今中外無比至聖也.…可見我国文字東夷人亦多所創造、而為契所推広因以造字之功帰之契.如将東土西土古文略一比較、即東夷対於文字之智慧優於西夏、東夷人既握有教育権、故諸夏尽受東夷之文化。」
(武功方面で諸夏がたとえ勝利を得たが文化方面では東夷に同化された。
…そもそも東夷とは果たしていかなる人々なのか。
すなわち和睦キメ細かくて、武力よりは芸術を崇める人々だった。
その代表的人物を聞けば舜だ。(孟子は舜を東夷人だと言った)至仁至孝にして、他人に天下を譲位し、天下をまた他人に譲位することは真に古今中外に他にない極めて聖らしいことである。(中略)私たちの中国文字は東夷人がみな創造したものといえ、契が広く普及したので造字の球が契に帰すことになったのだ。
東土と西土の古文を概略比較してみれば、すなわち東夷が文字の知恵については西夏より優秀で、東夷人が先に教育権を掌握したので諸夏が全部東夷の文化を受け入れた。)
(整理文化中途自述)と論及した通り中国文化の根源は東夷文化で成したことが分かる。ここでより一層重要なのは、中国文化の根幹をなすいわゆる漢字を本来、東夷族が創造したということだ。
この事実は今後、私たちの韓民族の古代史を正しく究明するのに非常に貴重な資料だ。
4.夏国を東夷族がたてたと見る証拠
漢字は東夷族が創造したという学説を土台にして、いかなる字が東夷族によって作られたかを具体的に考証してみようと思う。
一般的に中国最初の王朝の「夏」に対し文字学的に調べれば次のようだ。
殷代の甲骨文で「夏」の字形を探してみれば派手な姿をした対人の姿を描き「大きい」の意を現わしたものだ。(中略:夏の字の変遷)
「夏」の字形は甲骨文から楷書体に至るまで多く変わったが、字音は「ハ(ha)」として反切音の「胡駕切」と見る時、上告音がそのまま維持されていることが分かる。
しかし中国では現在[shiah]と音が変化して使われている。
韓国語では「ハ(ha)」が大きい、またはマンタの意味で昔から現在まで使われている。
‘大きい’という意味で国を建てるなら「ハ(ha)」を昔から‘大きい’の意味で使っている民族がたてたことは疑問の余地がない。
また「夏」の字形を作ったのも「ハ(ha)」(大きい)という言葉を持っている民族が作ったのも問わずして知ることだ。
その民族がすなわち私たちの先祖の東夷族ならどれほど誇らしいことなのか。
中国史学者らの考証によれば、夏と商これら全て黄河北側の北方族すなわち東夷族によって樹立された国々だ。
しかしはるか時代がすぎて指南により主客が転倒し、私たち韓国人自らも「夏」は中国最初の国名と認識していることは、無知の招いた結果で己の国の古代史を失ってしまったのだ。
以上
ソース:経済風月(韓国語) 夏・殷国は私たちの歴史
http://www.econotalking.kr/xe/index.php?document_srl=65769
・・・・・
内輪だけでなら、何言うも自由ですからね。
外の世界には言わない方がが良いと思いますよ。
~陳泰夏、仁済大客員教授
陳泰夏(ジン・デハ、仁済(インジェ)大学客員教授)
1.黄河文明の主役は東夷族
私たち韓民族の発祥地は松花江と遼河を中心に満州野原に雄拠した狩猟騎馬民族、として鴨緑江と豆満江を越え韓半島で南下する前にすでに黄河流域に進出して世界4大文明発祥地の一つである黄河文明を形成するのに主導的な役割をした民族であることを明らかにしなければ、私たち韓民族の古代史を正しく明らかにはできない。
中国の史学界でもこれまで新しく出土した遺跡を通じて、黄河地域の古代文物より遼河地域の古代文物がさらに発達していたと考証している。
これで遼河側の私たちの先祖である東夷族の文明が、黄河側に南下したことが分かる。
黄河流域に住んだいわゆる本来の漢族は、農耕民族として北側から南下する騎馬民族の東夷族に押され南に追われて、今日の中国の南方と東南アジア一帯に居住し、今は55族の少数民族の一つの客家族というものだ。
客家族は今でも自分たちが純粋漢族だと叫んでいる。
従って黄河文明の主役は漢族ではなく、東夷族であることは中国史学界ではすでに公認された事実だ。
まだ私たちの史学界では、黄河文明は漢族が作った文明と一般的に認識しているのは、非常に残念なことだ。
今でも私たちは過去の誤った我が韓民族の歴史を一つ一つ正しく探して整理し、確固たる民族史観と民族精気を確立しなければならない。
2.檀君より先んじた蚩尤天王(中略)
3.漢字は東夷族が創造
中国の文字学者李敬斎は「…在武功方面、諸夏雖獲勝利、而在文化方面則同化於東夷矣.…夫東夷果何等人耶.乃悌慈祥、薄武力而崇芸術之人也.其代表人物如舜(孟子曰舜、東夷之人也).
至仁至孝、能使人譲以天下、而以復以天下譲人、真古今中外無比至聖也.…可見我国文字東夷人亦多所創造、而為契所推広因以造字之功帰之契.如将東土西土古文略一比較、即東夷対於文字之智慧優於西夏、東夷人既握有教育権、故諸夏尽受東夷之文化。」
(武功方面で諸夏がたとえ勝利を得たが文化方面では東夷に同化された。
…そもそも東夷とは果たしていかなる人々なのか。
すなわち和睦キメ細かくて、武力よりは芸術を崇める人々だった。
その代表的人物を聞けば舜だ。(孟子は舜を東夷人だと言った)至仁至孝にして、他人に天下を譲位し、天下をまた他人に譲位することは真に古今中外に他にない極めて聖らしいことである。(中略)私たちの中国文字は東夷人がみな創造したものといえ、契が広く普及したので造字の球が契に帰すことになったのだ。
東土と西土の古文を概略比較してみれば、すなわち東夷が文字の知恵については西夏より優秀で、東夷人が先に教育権を掌握したので諸夏が全部東夷の文化を受け入れた。)
(整理文化中途自述)と論及した通り中国文化の根源は東夷文化で成したことが分かる。ここでより一層重要なのは、中国文化の根幹をなすいわゆる漢字を本来、東夷族が創造したということだ。
この事実は今後、私たちの韓民族の古代史を正しく究明するのに非常に貴重な資料だ。
4.夏国を東夷族がたてたと見る証拠
漢字は東夷族が創造したという学説を土台にして、いかなる字が東夷族によって作られたかを具体的に考証してみようと思う。
一般的に中国最初の王朝の「夏」に対し文字学的に調べれば次のようだ。
殷代の甲骨文で「夏」の字形を探してみれば派手な姿をした対人の姿を描き「大きい」の意を現わしたものだ。(中略:夏の字の変遷)
「夏」の字形は甲骨文から楷書体に至るまで多く変わったが、字音は「ハ(ha)」として反切音の「胡駕切」と見る時、上告音がそのまま維持されていることが分かる。
しかし中国では現在[shiah]と音が変化して使われている。
韓国語では「ハ(ha)」が大きい、またはマンタの意味で昔から現在まで使われている。
‘大きい’という意味で国を建てるなら「ハ(ha)」を昔から‘大きい’の意味で使っている民族がたてたことは疑問の余地がない。
また「夏」の字形を作ったのも「ハ(ha)」(大きい)という言葉を持っている民族が作ったのも問わずして知ることだ。
その民族がすなわち私たちの先祖の東夷族ならどれほど誇らしいことなのか。
中国史学者らの考証によれば、夏と商これら全て黄河北側の北方族すなわち東夷族によって樹立された国々だ。
しかしはるか時代がすぎて指南により主客が転倒し、私たち韓国人自らも「夏」は中国最初の国名と認識していることは、無知の招いた結果で己の国の古代史を失ってしまったのだ。
以上
ソース:経済風月(韓国語) 夏・殷国は私たちの歴史
http://www.econotalking.kr/xe/index.php?document_srl=65769
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内輪だけでなら、何言うも自由ですからね。
外の世界には言わない方がが良いと思いますよ。