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【成人期の先輩を訪ねて】グループホームでペースをつかんだ 出海優さん(29歳)

2015年09月22日 | 取材報告

一時、しんどい時期がありましたが、4年前にグループホームに入って生活のペースができました。夜8時。仕事から帰ると、好きなテレビを見て、セーラームーンや嵐の松潤クンにかこまれるほっこりタイムです。

(写真:堺市南区のグループホームで 2015年3月 撮影=住田鉱一)


仲間とキーパーさんに支えられ

小さいときから朝が弱く、“重役出勤”と学校時代は言われたことも。18歳ごろ、体調はピークだったけれど、20歳を前にしんどい時期があった。大学病院の小児科にかかって、ビタミン剤、昇圧剤、入眠剤などを試したけれど目に見える効果はありませんでした。大阪府立大学人間社会学部の里見恵子准教授(障害者福祉)から、「ショートステイで環境を変えてみてはどうか」と助言を受けたのです。

22歳ぐらいから、2年ほどは朝起きられなくなって、月に2、3日しか作業所に行けなかったことも。「このまま家にこもりきりになったらどうしようと思った」と、母・朋子さん(60)。ショートステイの経験はあったものの、心配だった朋子さん。自宅のリフォームをきっかけに、思い切って「お泊まり、行ってみる?」と、心を鬼にしてグループホームの「体験生活」に送り出しました。

(写真:ホームの仲間とキーパーさんが誕生会を開いてくれました 2014年10月 グループホーム提供)

最初は泣いてばかりだった優さんですが、2ヶ月して帰ってきて、「どうするホームにする?」と聞いたら、「ホームに行く」。「親としては、うれしいような、悲しいような」と母・朋子さん。

キーパーさんが根気よく支援してくれたおかげで、生活のリズムは数ヶ月でつかめました。いまでは、公営住宅を改装したホームで5人の知的障がいのある女性と暮らし、月に2回の週末は実家に帰る生活です。一番年下なので、みんなが優さんの面倒を見てくれます。

 

パン工房で大切なお仕事

グループホームと同じ地域にある、パン工房で働く出海さん。月曜から金曜は午前9時半から午後3時半まで勤務。パンを入れる袋に、食品表示のラベルを貼る、大切な仕事です。

(写真:ラベルをていねいに貼っていく 堺市南区のパン工房で 2014年12月 撮影=住田鉱一)

袋の決まった場所に、ゆっくり、でもきっちりとラベルを貼っていきます。月に6500円ほどの収入と、平均1万5000円くらいのボーナスが年2回あります。給料は能力により、ボーナスは作業の業績によります。「職員と仲間とのボーナス交渉のやり取りなどからも、仕事への意欲が増すようです」と、母・朋子さんは言います。

(写真:家族で出かけた沖縄旅行 2014年6月 家族提供)


「自立した生活を送ってほしい」

「私が元気な間に、自立した生活を送ってほしかった」と話す母・朋子さん。病気やケガで長期入院したときに、“親亡き後”を考えるようになりました。優さんが、18歳で作業所、25歳でグループホームに入れたのは幸運だったといいます。地域を選び、施設を探して、仲間との相性をみて…。自分にあったホームに入所するまでには、時間がかかる。だから、早いうちに計画をたててほしい、と朋子さんは助言してくれました。

第1土曜と、第3土曜は、運営する社会福祉法人の本部で、地域の人と交流したり、カラオケをしたり、などのレクリエーションがあります。毎年、秋には、職場の仲間と一泊旅行にでかける楽しみもあります。

 

《プロフィール》1985年(昭和60年)10月生まれ。堺市立浜寺中央保育所に4年間通う。堺市立浜寺小学校、同浜寺南中学の支援学級を経て、大阪府立和泉養護学校(現・和泉支援学校)卒。18歳から、社会福祉法人の運営するパン工房で働く。25歳のときに、公営住宅を改装して開設したグループホーム(堺市南区)に入所。

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 記事=住田鉱一(JDS大阪支部 『ダウン症ニュースWeb』編集部)


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