自分表現

家族に応援されながら、自由気ままに趣味の世界を楽しむ、自分への贅沢なご褒美

20年来の友人との久しぶりのひと時

2021-08-08 08:12:55 | 日記
芸能界で活躍をしている友人の『清水章吾』さんと、一年ぶりに会いました。
彼とは、20年ほど前に仕事を通して知り合いました。
彼が、ドラマで学校の管理職の役を演じるので、その監修の為に、私に声がかかったのがきっかけでした。
それから20年の友人関係を紡いでまいりました。

ここ数年前から、彼自身の生活に大きな変化がありました。
それは、40年もの長きにわたって苦楽を共にして来た奥さんのハルマンさんとの離婚です。
離婚するに伴ない、奥さんからの大変な仕打ちに憔悴した彼は自殺をはかったのです。
この奥さんからの仕打ちは、週刊誌等で興味本位的な書き方で取り上げられ、世の中の人の知るところになりました。この事は、インターネットで検索すれば、事実とは反対の記事が今も貼り付けられていますから、ご存知の方もいらっしゃるかと思います。
私が彼の友人としてハッキリ言える事は、彼は、芸能人としては一流です。そして、心は優しく、不用心で騙されやすい人間なのです。
奥さんと奥さんの連れ子への長年にわたっての虐待など、あろう筈もありません。

2週間ほど前に、彼から電話があり、私に会いたいとの事だったので、私の地元の少林山達磨寺や焼き饅頭屋さん等に出かけて参りました。

少林山達磨寺には、初めての参拝だったようで、感激していました。




此処は、少林山達磨寺から車で5分ばかりの所です。
店名は、『ミルク工房タンポポ』という名前で、長坂牧場の併設店です。
彼は、甘党でソフトクリームが大好きなのです。


此処は、前橋市内に在る老舗の焼き饅頭屋さんの原嶋屋です。彼は、昔から焼き饅頭が大好きなので案内しましたが、コロナ対策の為に一人しか入店を許されず、私が店内に入って焼き饅頭をテークアウトしました。


伊香保・榛名山にちょこっと行って参りました。

2021-02-22 09:52:24 | 日記
私は地元老人会の写真クラブに入っています。

次の会合には『冬』を主題にした写真を2枚持参しなければならず、その日が近づいています。
2月も半ばを過ぎ、春の雰囲気が漂い始めていますが、遠くの山々は白い雪を冠っでいます。

今日は、冬を切り取りに近くの伊香保と榛名山に出かけて参りました。



伊香保の『かのうや旅館』は、子どもの頃、夏になる度に祖父に連れられ一週間程過ごしたところです。

現在は、『かのうやホテル』という名前に変わっていますし、昔の『かのうや旅館』は、石段の1番上にあり『かのうや本館』と名付けられていました。

当時の4階建ての建物は今もあり、伊香保の石段街の写真には必ず写り込んでいます。
昔は親戚だったので、祖父や父が生きていた時代には互いに交流がありましたが、今は時の流れの中で自然に付き合いは無くなりました。

十数年前、かのうやに親戚が集まり、私も呼ばれたので同席した事があります。身内が群馬県主導で第三セクターのスキー場の社長に就任した者と、県副知事に就任した者、弁護士会代表で天皇陛下に謁見した者、付け足しとして私も特任教授就任で同席し、とりあえず親戚一同が集まっての食事会の席を『かのうや』で行ったのです。私は、それ以来、訪ねた事はありません。



伊香保神社には、有名な話があるのでご紹介いたします。

それは、伊香保神社掲額事件(いかほじんじゃけいがくじけん)と言います。
文政年間に発生した千葉周作が興した北辰一刀流と馬庭念流の抗争事件です。

北辰一刀流創始者千葉周作は、1820年(文政3年)から廻国剣術修行の旅に出て、各地で他流試合を行なっていました。
3年目の1822年(文政5年)、上州一の剣豪といわれる馬庭念流の小泉弥兵衛を破り、熱しやすく冷めやすいという上州(群馬)気質の小泉をはじめ100名を超える人々が、あっと言う間に千葉周作の北辰一刀流に入門したのです。
当時の北辰一刀流の道場は、北斗妙見菩薩(妙見様)近くの冷水村(高崎市冷水町)の佐鳥浦八 邸の馬庭念流道場に作られました。
この時の門弟のほとんどは、馬庭念流の門人だったのです。

入門者たちが伊香保神社へ北辰一刀流の額を奉納しようとすると、その情報が馬庭念流の道場のある馬庭村(群馬県高崎市吉井町馬庭)に伝わったのです。

馬庭念流は戦国時代の剣客樋口定次以来上州で連綿と続く流派で、新興勢力の北辰一刀流の進出を許せば面目にかかわるとして一同は憤激したのです。

掲額を阻止するため、馬庭念流一門500余名のほか、同じくらいの数のやくざ者や、鉄砲を持った猟師まで集まり、気勢を上げ、千葉周作門下一同が伊香保神社に武道額を持ち込むのを待ち構えていたのだそうです。
伊香保に今も残る木暮ホテル(金太夫、武太夫)の主も馬庭念流の使い手でした。
事態を重くみた当代樋口定輝は大事を制止するために、伊香保へ向かいましたが、これを見た人々は、当主の出馬だと勘違いして、いよいよ騒ぎは大きくなったのです。

村役人木暮武太夫や代官所の取成もあって、千葉周作は上州から撤退し、事なきを得たのです。

この結果、上州(現・群馬県)において北辰一刀流は明治中期に至るまで、教える者がほとんどいなくなりました。
その後、千葉周作は江戸に戻り、北辰一刀流の道場として日本橋品川町に玄武館(後に神田於玉ヶ池に移転)を設立したのです。

千葉周作が守護神として終身信仰した北斗妙見菩薩を祀る石碑(北辰鎮宅霊符尊)が伊香保神社階段下(日本で始めて温泉饅頭を作ったと言われている饅頭屋さんの建物の右横)に昭和三年に建立されていますので、伊香保温泉に行った時には一度訪ねて欲しいと思います。





また、すぐその碑の近くには、大隈重信公のご母堂が、子安観音像を寄進していますので、併せてご覧頂きたいと思います。





伊香保温泉には長い歴史があります。
探れば探るほど『伊香保』の面白さが発見出来ます。
まだ、まだ、私の知る伊香保をご紹介したいのですが、またいつかご紹介する機会に譲りたいと思います。

群馬県人なら誰もが知る『上毛かるた』には、「伊香保温泉 日本の名湯 」と、謳われていますが、伊香保温泉の歴史を含めた総称をカルタの詞で表したのです。





テレビのバラエティー番組では必ずこの橋が紹介されるのですが、昔はこんな橋はありませんでした。おそらく、温泉組合が考えた『客寄せパンダ橋』だろうと思います。また、このすぐ近くには露天風呂があり、私が子どもの頃は無料の男女混浴露天風呂だったと記憶しています。


伊香保の民家は、崖に作るのでこの様な作りの住宅が多く見られます。


若者向けにこの様なマンホールの蓋を見つけました。






















鎌倉市扇ヶ谷の海蔵寺に出かけて参りました。

2020-11-14 09:10:00 | 日記
先日、鎌倉市扇ヶ谷に在る「海蔵寺」に出かけて参りました。

この寺は、武田流流鏑馬を細川家から相伝され世に広めた金子有鄰先生の菩提寺なのです。

私は、お焼香をさせて頂く事を長年懐中に温めていた事がやっと叶って、今やっと安堵しているところです。
今までも、鎌倉には仕事柄時々行く機会がありましたが、なかなか私的な時間をとる事が出来ずにいましたので、退職した今、まだ体の自由が効く此の時に行く事が出来て良かったと思います。

金子有鄰先生は、約60年前に私の祖父の告別式に、わざわざ鎌倉から群馬の地においで下さり、お焼香をして下さったのです。
私が、小学校3年生の時の事でした。
その後も何度かご自身の先祖の地として先生ご本人が認知された金古入道山古墳を見る為に、来県されましたが、昭和55年に鎌倉の扇ヶ谷の平安居で永眠されました。

私は、祖父の告別式に来て下さった先生の永眠を知らず、告別式に馳せ参じなかった事に、心に引っ掛かりを感じていましたが、先生の墓前にお線香を手向けられ、少しだけその引っ掛かりが取れた様な気持ちがしています。
金子有鄰先生がお亡くなりになった事や、その他詳細について私に教えて下さった、日本古式弓馬術協会理事長の豊田先生には深く感謝いたします。



























金子有鄰先生の平安居は、海蔵寺のすぐ近くの扇ヶ谷に在りましたが、今はベーグルを売る店になっていました。
金子家を継がれた方は、今は何処にお住まいになっていらっしゃるのかは、私如きには分かりません。
ここには金子有鄰先生が収集された名のある日本刀や槍、馬具、甲冑、書物等を収納していた宝物蔵も在ったと思うのですが、おそらくその姿も今は無い様に思われます。
私は、景観がすっかり様変わりしてしまった事に、驚きを禁じ得ませんでした。
この場所は、観光客が押し寄せる小町通りからも1km程離れていて、昔の鎌倉の雰囲気を漂わせる数少ない地域でもありましたが、ベーグルのお店が出来ているという事は、それなりに人の往来もあるのだろうと考えられます。




お墓参りを終えたので、観光はまた別の日にする事として、一路自宅に向けてクルマを運転しました。

午前9時半に自宅を出発しましたが、紅葉のシーズン真っ只中でしたので、往路は圏央道を使わず、環八や首都高を使い、距離的にはやや遠廻りをして、ベイブリッジを通り鎌倉入りしました。
復路は、山側の圏央道をひたすら走り、自宅に戻った時刻は午後6時でした。総距離は凡そ350kmでした。
行きも帰りも一般道路は混雑していてノロノロ通行とストップの繰り返しでしたが、高速道路の平均時速は、50km〜80km程度の速度で流れていて、紅葉の時季であるのにもかかわらず、まあまあの流れだったので、クルマの運転疲れもあまり感じませんでした。



一泊2日の人間ドックに来ました。

2020-10-20 10:25:32 | 日記
今日から明日の正午くらいまでの間、済生会前橋病院の人間ドックを受診いたします。
一泊2日の人間ドックは、時間にゆとりがあり、のんびりとしたひと時を過ごす事ができるので、私は、サラリーマン時代から、1年に一度この病院に来ていましたが、退職した今も引き続き、人間ドックはこの病院にしています。









明日の胃カメラさえなければ、実に快適なのですが、コロナウィルスの関係から、胃カメラの挿入は、鼻からではなくて口からの挿入になるのだそうです。