自分表現

家族に応援されながら、自由気ままに趣味の世界を楽しむ、自分への贅沢なご褒美

のたり のたり の ひと時

2018-04-26 11:57:30 | 日記
今日は、息子を職場の近くまで送って行ったついでに、市内の鼻高町方面に寄り道をしてきました。
鼻高町は高崎市内にある町ですが直ぐ隣は安中市になります。
向こうに見える山は、任侠博徒の国定忠治や文学の流派の「白樺派」の発祥地、冬のオリンピックで初の銀メダルを日本にもたらした猪谷千春がスキーの練習に明け暮れた事で有名な『赤城山』です。



ここは、『鼻高展望花の丘』。
地域の人達が丹精込めて綺麗な花を育てています。
近くの鼻高小学校の児童も、授業の一環としてこの花の丘の手入れを手伝います。





花の丘からは、榛名富士を抱える榛名富士を含めた外輪山(榛名山)も綺麗に見えています。
榛名山は、赤城山、妙義山の2つの山と合わせて、上毛三山の1つに数えられています。

右端の山は水澤山。この水澤山の中腹には、水澤観音堂が鎮座し、山門界隈には、日本三大うどんの一角を担う、『水沢うどん』の店が建ち並んでいます。
また、この山の裏側には、伊香保温泉があり、木暮旅館や福一旅館、千明旅館等々、平家の落人が拓いた温泉旅館が軒を連ねています。
伊香保温泉は、北辰一刀流の開祖、千葉周作と縁があります。
千葉周作が若かりし頃に、江戸で馬庭念流(現:群馬県高崎市吉井町)の使い手と戦い敗れてしまったために、再度、馬庭念流に挑戦するために、上州(群馬県)に出向き、馬庭念流の使い手と試合を行い、ことごとくその使い手を打ち破ってしまったのだそうです。
破れた馬庭念流の使い手は、千葉周作に惚れ込み、馬庭念流の使い手やその多くの門弟達は、北辰一刀流に帰依してしまったのだそうです。
その記念として、北辰一刀流に帰依した門弟達が、武道額を伊香保神社に掲げようとして、馬庭念流一門の逆鱗に触れ、一発触発の事態になってしまい、大きな戦いの場になるところでしたが、馬庭念流の使い手だった木暮武太夫(木暮旅館館主)らと千葉周作との話し合いによって、事無きを得たという有名な場所が、この伊香保温泉なのです。
伊香保神社下の片隅に、それを語る石碑がひっそりと昔を偲んでいますが、この話は、今は殆ど知られてはいません。
ちなみに、千葉周作が初めて開いた北辰一刀流の道場は、高崎市冷水町(旧群馬町冷水(ひやみず))の佐鳥家の馬庭念流の道場を変えてつくられました。
『北辰一刀流』の“北辰”とは、北斗七星から名付けられました。また、“一刀”とは、千葉周作が最初に剣術を習った流派が一刀流だったので、北斗七星と一刀流を合わせて『北辰一刀流』と言う名前にしたのです。

北辰一刀流は、多くの門弟を輩出し、明治維新に貢献した坂本龍馬も名だたる門弟の一人でした。

高崎市国府町に妙見様・・正しくは『北斗妙見菩薩』という、今は無人の寺院があるのですが、この寺院が、まさに北斗七星を奉っている寺院なのです。千葉周作の守り本尊が、代々この北斗妙見菩薩だったのですが、上州金古宿国府村(現:群馬県高崎市)の佐鳥家に道場を作ったおりに、近くに自分の家の守り本尊がこの地にある事を知った千葉周作は、たいそう喜んだと、伝えられています。なお、この『北斗妙見菩薩』は、全国3カ所ある内の1つです。

また、大正ロマンを代表する竹下夢二の恋人も伊香保温泉の有名な旅館の娘でした。
第二十代総理大臣の高橋是清の娘も、ここ伊香保温泉の旅館に嫁いでいます。

まだまだ、語りたい実話があるのですが、長い話になるので、割愛します。





この丘は、地域の宝としてみんなが参加して年間を通して綺麗に管理されているのです。

鼻高の丘から見える景色を見ていると、心地好い春の風が頬を撫でながら通り過ぎて行きます。



遠くに見える浅間山の雪は、かなり溶けていますね。


浅間山から左に目を向けると、荒船山がよく見えます。
荒船山は、数年前にクレヨンしんちゃんの作家が訪れて、そこで帰らぬ人になってしまった山でもあります。


カメラのズームを引いた荒船山方面の写真です。
左に荒船山、右に妙義山
妙義山と言うのは、白雲山、金洞山、金鶏山、相馬岳、御岳、丁須の頭、谷急山などを合わせた総称で、表妙義と裏妙義に分かれています。
左から船が右の荒波(妙義山)に向かって進んでいるように見えるところから、荒船山という名前がつけられたようです。
まあ、諸説ありますが。


鼻高花の丘の直ぐ近くには、ダルマで有名な、『少林山』があります。


この少林山ですが、ご免なさい。正式名を忘れてしまいました。
ネットで調べれば出てきますが、今は、ちょっと面倒。
この寺は、黄檗宗派の寺院で、普段はとても静かなお寺ですが、正月などは、他県からも参拝客が押し寄せて、かなりの人混みになります。




徒然なるままに

2018-04-25 15:29:21 | 日記
昨晩から降り出した雨が、今も庭を濡らし続けています。

私は、イスに腰掛け、そう煩わしくはない微かな雨の音を聞きながら、時間の過ぎ去る1コマ1コマを愉しむ事にしました。
時間がたっぷりある私は、日頃から気になっている大学時代の友人A君の声が聞きたくなったので、パソコンを使って電話番号を探しだし、さっそく電話をしてみることにしました。

A君は、福島県郡山市に住んでいます。
私が仕事を定年退職をしているのだから、恐らく彼も同様に自宅に居て時間を持て余しているだろう、と、勝手に解釈しての暴挙でした。
初めに女性の方が電話口に出たので、私は、A君のお宅かどうかを確かめ、その後、A君への取り次ぎをお願いしました。

案の定、A君は在宅中でした。
40数年ぶりのA君の声は、落ち着いていて実に威厳のある声でした。
彼も私の事を覚えていてくれていて、懐かしい話題に終始しました。
A君とは大学時代に知り合いましたが、彼は私よりも年齢は上で、私は、彼を私の兄貴分として羨望の眼差しで見ていました。また彼は、剣道部の中でも近寄りがたい存在でもありましたが、なぜか私はひっつき虫のように彼の後を着いて歩いていた事を覚えています。

久し振りの呼称について、私は、少し考えたのです。
A君は、大学時代の同学年なのですが、人生の大先輩なのです。
A君? Aさん? どっちにしよう?
「Aさん」にすれば、彼はどう思うだろう?
「A君…………。」
年齢は、私よりも上。
でも、大学時代は、同学年。
心の中は 「Aさん」 と、思い、
「A」にしよう!
ただし、尊敬を込めて「A」と、呼ぼう。その方が、彼は自然体になれるのではないか?私の名前を「M」と、言ってくれるだろう。
私は、そう、思う事にしたのです。

A君は、今も剣の道を歩んでいます。そして、自分の教え子を社会に創出する事を信念にしているとのことでした。A君は今も仕事をしており、今日はたまたま自宅に居たとの話を伺い、彼の仕事に対する熱い思いを知りました。
なお、余談ではありますが、最初に電話口に出たのは、彼の奥さんで間違いは無いのですが、大学生時代に私も会っている人だと言う事がA君が話してくれました。A君は、かなり女学生に人気があったので、A君を取り巻いていた女性の中の一人だったのは間違いなさそうです。

A君との話を終了して暫くすると、雨も止んで太陽が顔をのぞかせました。

しばらく洗っていなかったクルマは、少しすすボケて見えたので、洗車をする事にしました。
ジャパネット高田で購入したケルヒャーの高圧洗浄機を取り出して洗車をしました。




クルマは、だいぶ綺麗になりましたが、水圧が高すぎてシールの一部が剥ぎ取れてしまいました。

やや色あせてしまった黄色のステッカーは、40数年程前に、日本アマチュア無線連盟から私宛に送付された、アマチュア無線のコールサイン(JE1MGB)を明記してある標識札です。

私がアマチュア無線を始めた頃は、コールサインは、終身的永久欠番でしたが、今は、そうではなくなり、コールサインは再割当制になってしまいました。しばらく前に、アマチュア無線ブームが巻き起こり無線局が増えすぎたために、コールサインが足りなくなってしまい、5年毎の申請をしないと、そのコールサインは、他の人に渡ってしまうようになってしまいました。ですから、今、アマチュア無線を楽しんでいる人の中には、かつては違う人が使用していたコールサインだという例がいくつもあるのです。
ちなみに、私のコールサインJE1MGBは、私が使用する前には誰も使ってはいません。
ですから〝JE1MGB〟=〝私〟なのです。

今日も、日がな一日を徒然なるままに過ごす事が出来ました事を感謝いたします。


アマチュア無線『3.543MHzモービルハム“かんらお花見の集い”』に初参加してまいりました。

2018-04-16 10:17:06 | アマチュア無線
4月14日(土曜日)~15日(日曜日)、群馬県甘楽郡甘楽町小幡にある『かんらふるさと館』という所に、出かけてまいりました。
小幡は、織田信長ゆかりの地として全国にその地名を知られており、次男の信雄(のぶかつ)が治めた事で有名な場所です。

実は、早朝の午前5時頃から、殆ど毎日のようにアマチュア無線で電波(3.544MHz)を媒体として交信している人達が、顔を合わせて懇親を深めると言う話を伺ったので、私も出かけてみたくなり参加をして参りました。

1月に長野県の木島平村にある“ホワイトヒルはまゆう”の『雪見の会』に出かけて以来のアマチュア無線技士の人達の集いです。
今回の参加人数は、総勢で17名でした。勿論、ホワイトヒルはまゆうのオーナーの増田さん(コールサインはJH0RMC)も参加されました。
今回の主催者は、加藤 晃さん(コールサインはJA1TJV)、原田澄男さん(同JI1DIY)、吉田幸司さん(同JI1MGS)、松井克洋さん(同JM1OOD)の4名とのことでした。


駐車場には、すでに自作アンテナがセットしてあるクルマ数台が駐車していましたので、さっそく写真を写させてもらいました。既製品のアンテナとは違い、個性あふれる美品ばかりです。
いゃあ~・・・・・・・私も欲しくなりますねぇ・・・・こんなアンテナを作る技術があれば、私も作りたいところですが、悔しいかな、私には作れませんなぁ。







駐車場には、皆さん参集し、それぞれが持ち寄ったジャンク品等の交換会が始まりました。




私は・・・・と言うと、すてきなアンテナを頂きました・・・このアンテナは、430MHz用のアストラルプレーンアンテナです。自宅に帰り、アンテナアナライザーで計測してみたところ、まあまあ何とな~くフォーン・バンド内には収まってくれているようなのです。


インピーダンスは50Ω、SWRは1.5以下が望ましいのですが…………。まあ、我慢のしどころ。


さて、かんらふるさと館の玄関前を紹介します。
足下にタンポポがやさしそうに咲いていたので、先ずはパチリ。














さあ、いよいよ宴会です。
幹事の方達の挨拶です。
お仕事の合間に、いろいろと段取りをとって下さり、心から感謝いたします。



増田さんも、写真を撮ってくださっています。


東京の国立市から参加された吉田さん(コールサインはJG1SIG)は、この会のために、ご自身で用意してこられた品物を私たちにプレゼントして下さいました。特に沖縄産の「海ぶどう」は、美味しくいただきました。

吉田さんは、かなり昔からの3.543MHzモービルハムのメンバーの方で、私も、30年位前から吉田さんの声とコールサインだけは知っていましたが、今回、私自身が初めての参加(実は、ずーっと以前に、私は伊香保大会には、参加したので初めてと同じ感覚です)でしたので、姿を生のまま拝見するのは初めてなのです。
元気な吉田さんに乾杯!!







女性の方達3名は、ご主人に付き添っての参加です。


次回は、6月23日(土曜日)~24日(日曜日)に、増田さんがオーナーを務める『ホワイトヒルはまゆう』で、バーベキューの集いに決定しました。私も、是非参加をさせていただきたいと考えています。


凡そ2時間ほどの宴会で、酔いも回ったところで、集合写真を写しました。




その後は部屋に戻り、参加者の多くが二次会で無線談義に興じました。
特に私は、吉田OMの隣に座ったために、吉田OMの話を沢山伺うことが出来ました。



吉田OMは、とても饒舌な方で、時間が経過したのも判らないくらい色々な話をして下さいました。







皆さん流石に人生経験を積んで来られた方達ばかりなので、お酒の飲み方も心得ていらっしゃいます。
深酒をすることもなく、程々のところでお酒を切り上げて、各自で布団を敷き就寝されました。
このへんが、やはり若い人達とは違うところなのだろうと感じました。
初参加の私も、心地好く楽しめました。








楽しい一泊二日の一時でしたが、私は15日の朝8時から、雨天決行の地域の道路清掃日になっていたので、朝食もいただかずに自宅に帰りました。
目覚めていた人達には挨拶をしましたが、まだ、寝ていた方達もいらっしゃったので、お別れの挨拶をしなかったことが少し心残りでした。
今回、このような集まりに参加できて、私としては良かったです。
また、幹事の皆様はもとより、参加された総ての皆様に快く受け入れていただき感謝いたします。






今日の1コマ

2018-04-13 16:52:41 | 日記
幸が窓の外をじーっと見ていたので、何気なく私も外を見ると、「クロちゃん」がいました。




幸と、暫く睨めっこです。

今日は、妻が外出していて自宅に居ないので、私が妻の代理でクロちゃんにエサをあげます。


クロちゃんは、私よりも妻の方が安心するようで、ここ暫くの間は、妻がクロちゃんの相手をしているのです。

クロちゃんは、男の人に意地悪をされた経験があるのかも知れません。

私が与えたエサを暫く食べた後は、いつものように東の方に歩いて行きました。



クロちゃんは、2週間くらい前から、歩き方が不自然なのです。右側の後ろ足をケガしていて普通の歩き方ではないのです。
また、誰かにイタズラをされたのかも知れません。
暫く前は、オデコのケガがあり、やっと治ったのですが、今度は後ろ足のケガです。
クロちゃん、あちらこちら動き回らず、我が家の敷地内に居ればケガなどはしないのですが、そうもいかないのでしょう。

春暖に誘われるままの散歩景色に足を止めました。

2018-04-02 11:29:00 | 日記
今日は、4月2日の月曜日、次女は勤めに出かけ、長男は今年3月に大学を卒業し、今日が初めての出勤日で入社式との事。
とりあえず、親として肩の荷がほんの少し軽くなったのかなぁ・・・・・。
肩の荷が軽くなってくれればいいなぁ・・・・・。
『這えば立て、立てば歩け(歩め)の親心』とは、よく言ったものだと、今更ながら思います。
私の親も、同様に私をみているのだろうと考えると、いつまで経っても親には頭があがらないです。



と言う事で、妻は自宅でイソイソと家事仕事をしてくれています。
私は、暇人なので、カメラを片手に持ってお散歩に。






畑の中にある桃の木の花が綺麗に咲いています。

桃の花が散り、実ができると、やがてカブト虫が現れます。
でも、昔ほどの数は現れなくなりました。農家が、消毒剤等を散布するからでしょう。
でも、農家が悪いのではないのです。悪いのは消費者。
消費者は、虫食いの無い、美しく綺麗な野菜を好むのです。野菜作りをしてわかった事は、美味しい野菜は、虫が良く知っていて食べる(虫のつまみ食い)のです。
農家は、消費者が好む美しい形で、虫食いのない野菜を作るために、農薬を沢山散布しているだけなのです。
野菜作りの農家の人は、虫食いの野菜を好んで食べますよ。
だって、グルメの虫さん達が、野菜の中でも、一番美味しいところを見つけてつまみ食いをしてくれたのですから。

ちなみに、我が家の農産物は総て無農薬に固執しています。農薬は食べる私達家族の体に害があるからなのですよ。





椿の花も、綺麗に咲いてくれました。





菜の花は、そろそろ時季を過ぎ食用にならなくなったので、畑の栄養にするつもりで、抜き始めました。
抜いて地面においてはみたものの、花輪は青空に向かって花を咲かしている姿を見ると、抜いた事が何となく申し訳ないような気持ちにさせられます。





水仙は、咲く季節が過ぎようとしていますが、今日も綺麗な花を咲かせてくれています。



今が見ごろの芝桜は、ピンクと白の花を咲かせてくれています。


道を挟んだ隣には、漕洞宗のお寺があり、我が家も檀家になっています。
最近、お寺の僧侶の得度式があったようで、得度費用の拠出金徴収で、私の懐具合はかなり寂しくなってしまいました。
得度式も、檀家からお金を集めるのか??
他人の褌で相撲を取るとは、この事か・・・・??
僧侶さんって、かなりのお金持ちなんだろうなぁ・・・・・。

ネガティブになると、惨めな気持ちになるので気持ちを切り替えましょう!

そんな私の気持ちを知ってか知らずかは解りませんが、お寺の庭に咲く桜の花だけは、とても綺麗に咲いています。










私は、この地域で生まれて育ったので、故郷の良さを考えたことはありません。
故郷の良さを考えたことは無いのですが、自分の故郷を持ち、故郷の中で生活している自分は、幸せなんだろうなぁ、と、しみじみと感じることが出来るのです。